スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com


Warning: Undefined array key 0 in /home/r6286533/public_html/suttanipata.com/wp-content/themes/hpb20170224161711/breadcrumb.php on line 127
スッタニパータ解説

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句773の解説

773 欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮(こりょ)しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)が止められず、両極端の欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも分別し、顧慮(こりょ)しながら、これらの目の前の欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。それらを手放さない限り解脱することはない。

 

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句772の解説

772 窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、執着し。多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

 

 

人は前世で抱いた執着によって再び、窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、生まれてきては、何かを掴もうと多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に物質的な世界に執着し(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実につまむために生まれてきた世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではない何故なら、人は、そのために生まれてくるからである。決して掴むことのできない対象を求めて。

スッタニパータ 欲望771の解説

771 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

 

 

それ故に、人は常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、自らの心の状態を観察し、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。それらを制した、すなわち中道の先に彼の岸があるのである。

スッタニパータ 欲望769、770の解説

769 ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

 

 

770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。

 

 

ひとが、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を抑えられずに田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を両極端に分け、貪り求めると、無力のように見えるもの諸々の煩悩がかれにうち勝ち、それらを手放さないならば、危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。故に修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、怠ることなく水が浸入する穴をふさぎ、世の中を遍歴し、彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ 欲望768の解説

768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着をのり超える。

 

 

足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着の対象を手放し、執着をのり超える。

スッタニパータ 欲望767の解説

767 欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

 

 

欲望をかなえたいと望み自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を抑えられず、貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。かれは、苦しみを掴んで離そうとしないからである。それを知って、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)制し、手放したならば、苦しみの襲われることはない。

スッタニパータ 欲望766の解説

766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)の運動によって、欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまく欲望の対象を掴むならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。この世は無常であるから、何かを掴むと喜び、それが変化すると苦しむ。故に修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、何ものをも掴んではならない。無常の対象を掴むことそれは苦を掴むことになるからである。

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1124の解説

1146 「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」

 

 

「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが人間的思考の運動(快⇔不快)による信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あるがままに現象を観察した時に真理を視て、目の当たりに見る事によってそれが信となり、そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」

 

 

明日からは、ホームページ閲覧者と直接指導しています修行者からの質疑応答を掲載する予定です。

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1123の解説

1122 「四方と思惟(しい)と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識(し)られないなにものもありません。どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

 

1123 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは人間的思考の運動(快⇔不快)が止められず妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなく人間的思考の運動(快⇔不快)を制することにはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1121の解説

1120 ピンギヤさんがたずねた、「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。ーどうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」

 

 

1121 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。物質的な形態にこだわってこの世(変化ある世界)に生まれ、物質的な形態があるが故に、人々が変化し害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は変化によって病いなどに悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらすこだわりによる物質的形態を捨てて、物質的形態を求めることなく再び生存状態にもどらないようにせよ。」