スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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09月

スッタニパータ 学生ポーサーラの質問1114の解説

1112 ポーサーラさんがたずねた、「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。

 

 

1113 物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものも存在しない』と観ずる人の智を、わたくしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」

 

 

1114 師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。すべての〈識別作用の住するありさま〉を知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、極め、明らめ、すべての識別作用の住するありさまを知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれはこだわりによる物質世界から、解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1111の解説

1110 「どのようによく気をつけて行なっている人の識別作用が、止滅(しめつ)するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

 

 

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、内面的(心による感受)にも外面的(接触による感受)にも感覚的感受=人間的思考の運動(快⇔不快)を喜ばない人、このようによく人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて修行を行なっている人、の識別作用(快⇔不快)が止滅するのである。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1109の解説

1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

 

 

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

 

 

「世人は人間的思考の運動(快⇔不快)による歓喜に束縛されている。歓喜を得たいと言う思わくが世人をあれこれ行動させるものである。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1107の解説

1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、現象の観察において、平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1106の解説

1105 ウダヤさんがたずねた、「瞑想に入って坐(ざ)し、塵垢(ちりあか)を離れ、為(な)すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸(ひがん)に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明(むみょう)を破ること、正しい理解による解脱(げだつ)、を説いてください。」

 

 

1106 師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。自らの人間的思考の運動によく気をつけ、人間的思考の運動(愛⇔憎)による愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、人間的思考の運動(浮⇔沈)による沈んだ気持ちを除くこと、無常(変化)を理解できない悔恨(かいこん)をやめること。

スッタニパータ 学生バドラーヴダの質問1104の解説

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ー死の領域に愛着を感じているこの人々を〈取る執著ある人々〉であると観(み)て。」

 

 

それ故に、修行者は明らかに知って、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ー生まれ変わりによる死の領域に愛着を感じているこの人々を取る執著ある人々であると観(み)て。」

スッタニパータ 学生バドラーヴダの質問1103の解説

1101 バドラーヴダさんがたずねた、「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することなく、歓喜をすて、激流を乗り超え、すでに解脱(げだつ)し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

 

 

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多勢の人々が諸地方から集まって来ましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

 

 

1103 師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。目の前に現れる現象に対して自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、上にも下にも横にでも中間にでも、執着する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに転生へと至る。

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1100の解説

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

 

 

修行者よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して一時的なものである名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、また生まれてきたいと想うような諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは転生によって生まれてくることもなく死に支配されるおそれがない。」

 

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1099の解説

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、過去にあったもの(煩悩)あるいは、過去にあった出来事に対する想いを涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに何ものにも人間的思考の運動(快⇔不快)による想いがないようにせよ。そして、今、現在である中間においても、そなたが自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたは、それらの想いに捉われることなく、やすらかにふるまう人となるであろう。

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1098の解説

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り超(こ)えた人(ブッダ)に〈欲のないこと〉をおたずねしようとして、ここに来ました。安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼(まなこ)のある方(かた)よ。先生!それを、あるがままに、わたくしに説いてください。

 

 

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克(か)つようなものです。智慧ゆたかな方(かた)よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

 

1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ーこの世からの出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。全てを手放し、取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。存在しなければ、この死ある世界に生まれてくることはないのである。