スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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布教と修行

布教
仏教の布教とは、自分の才能をもって、まわりの人々の才能を引き出し輝かせていくという慈しみの心これが布教です。そう言う気持ちで日々精進いたしましょう。人間というのは、自分と違う考えの方を中々受け入れようとしません。そして違う考えの人を排除しようとしますので、中々自分の才能を違う考え方の人に役立てようとしない場合が多いのです。大円境地の心で全てを受け入れ、それぞれが尊いものなんだと考え、自分の才能で輝かせてあげましょう。それぞれを輝かせるために自分の才能を活かすのです。

修行
仏教の修行とは、人間的思考(好き嫌いをする心)を止めて行くのが修行です。その止めている時間をどのくらい続けれるか?が大切です。止める事ができるようになれば、だんだん仏性が目ざめてきます。人間的思考から仏の五智の思考へ転換してくるのです。

修行の進め方
最初は、だれもが、人間的思考で信仰を掴みます。これが如来様の蓮華座に繋がっている茎です。ここを戒(人間的思考を止めるという誓い)をしっかり守り、定(しっかり自分の五感の感じ方を見ていく集中力)、慧(そこから感じる所の智慧)、解脱(心の解脱)、解脱(心の解脱)、知見(自分が排除していた物を受け入れることによって視野が広がりいろんな物が見えてくることによって知る)五分法心がわかり、磨蛍(魂を磨いて光らせる)これをくり返すことによって茎を上って行くことができます。蓮華座の下まで上ってきたら、もう自分の目で法の世界が見えるので、人間的思考の信仰で掴んだ茎を放して蓮華座の上に上るのです。

お供物の修行について
お花のお祭りの仕方
それぞれのお花の特徴を活かし、光り輝くようにお祀りします。お花をお祀りすると同時に、日々の自分のあり方も周りの人がそれぞれの特徴、才能が光り輝くように、自分の才能をもって手助けができるように心がけます。そう言う修行がお花をお祀りする修行です。

我が身の行とは?
人間的思考を立ち上げたまま行をすることを我が身の行と言います。

戒禁取とは?
人間の思考を立ち上げたまま何かを貪り求めて修行をすると反対のものが現われてきます。また、人間的思考で目に見えるもの資格とか数字を確認して執著をして目に見えるものを得て信仰、修行しようとする気持ちを言います。

徳積みとは?
人間的思考で「徳を積んだら幸せになるんだ」と言う思考にならないように注意します。徳というのは五智のエネルギーこれを大きくしていくのが徳積みです。自分のエネルギーを人間的思考の偏ったエネルギーから仏様のエネルギーに変換し正常なエネルギーになります。それを自分ものにしていき、仏様と同じ行動をしていくと言う事です(わけない行動)常に周りを活かすと言う行動をしていくことを言います。徳とは、自分自身が電球だとしたら、徳の電流を流すことで、光輝く電気のようなものです。それを大きくして行き、周りをも照らす存在になりましょう。

択法(ちゃくほう)
人間的思考を止めるために自分の心の動きをしっかり見ていくこと。しっかり観ていくためには、人間的思考では、ひとつの方向性でしか観ていません。それをしっかり全部観ていく事が択法(ちゃくほう)です。見極めるためには、好き嫌いしないと言うことです。好き嫌いしていると全部見れないわけです(観ようとしない、自分の見方に執着している)昔、象を目の見えない人を連れてきて身体のあらゆるところをさわらせました。腹の部分をさわった人は厚い壁のようだと言い、しっぽをさわった人は大きな筆のようだと言う。すなわち一人一人の意見は正しいけれども全体は見えてこない象の全体象をを知るためには、様々な角度からみて触って全体を知る必要が有るわけです。つまり択法(ちゃくほう)の修行を進めるためには、人間的思考の波を鎮めてしっかり観る事が必要です。そうすることによって、五智へつながったときに、エネルギーとして感じとった対象を解読することができるようになるのです。

五根法
念を強める。その念をしっかり確認するためには技法をしっかり信じる。信じすぎると周りのことを観ていないので、しっかり周りのことも観ていきましょうというのが空です。集中力(定)が必要です。集中力のつけ方は、集中が途切れそうになったら、戻す、戻すと言う訓練でつくようになります。バランスよく、身と慧と精進を確立していくことによってこの念が確立していきます。

七覚支法
常に自らを観察し、また、自らに現れる現象を観察することを七覚支と言います。例えば、人間の身体というものは、自分の身体であれ、他人の身体であれ大差はありません。ですから、自らの身体をよく観察することで、他の人間の身体のことも理解ができるようになります。それは、人の心も同じです。目の前に現れる現象も同じような性質を持っています。それは、そのすべてが、無常であり、苦であり、無我だということです。私たちは、自らの身体や他人の身体に執着をすることがありますが、身体をよく観察し、ひとたび皮を剥いだならば、みな同じようなものです。同様に食べ物も好き嫌いしますが、排出されるとすべて便となります。そして、自らの心も自分のものと思いがちですが、心は果たして自分の思いどおりになっているでしょうか?あなたの心は大人ですか?ほとんどの方の心はわがままで、育っていない状態です。心をよく観察してみてください。もし、こころが育っていないならば、躾が必要です。そして自らの心の状態をよく知ってください。あなたが自分の心だと思い込んでいるものは、実は、自分の心とは言えないことに気づくでしょう。本当に自分の心であればコントロールできるはずですが、心は、不安定で無常です。そして自分でないことに気づき無我だということがわかるでしょう。この自らの身体の外見、内面、心(感情、分ける心)、自らの目の前に展開する現象を人間的思考の運動を止めて鏡のように分けない心でよく観察し、この世は無常であることを知り、そこから得るところの気づき(智慧)を得ます。そしてすべては、無常であり、苦であり、無我であるを知る(知見)ことによって執着は、なくなり、すべてを手放し、捨て去ったときに、この無常の苦の世界から解脱ができるのです。それが七覚支の法と呼ばれます。

四神足法
感じとれるようになったエネルギーを解読し、その4つのエネルギー(地、水、火、風)をコントロールできるようになる方法。これにより、お御霊のエネルギーをコントロールし成仏させることができます。四神足法の修行方法としては、自分の五感から感じ取れるエネルギーをしっかり見ていく、例えば、水の行であれば、滝を受けることによって自分の五感がどのような反応をしているのか?そして、水のエネルギーがどのような流れなのか?しっかり見ていくことが大事です。そしてそのエネルギーをしっかり取り入れて、コントロールしていくのです。火の行は、その力を増幅してくれます。自分の人間的思考を止める力を火の行で更に強めて行きましょう。そしてコントロールして行くのです。主に地(重さをつかさどるエネルギー)水(引き合うエネルギー)火(変化させるエネルギー)風(引き離すエネルギー)これをコントロールします。

時間のコントロール
修行者の方で高齢の方や自分には時間がないと考える方もおられると思います。修行が進むとこの時間のコントロールも可能となります。例えば、同じ時間でもあっという間の時間、あるいは、中々過ぎない時間という体験をされた方も多いと思いますが、この時間に対しての気づきを獲得できれば、時間のコントロールが可能となり、1時間を1ヶ月にも何倍にも使うことができるのです。

目覚めた人を目指す(オート四智思考)
人間的思考の運動は、夜寝ているときも起きます。それを見張る心は、夜も覚醒していなければなりません。夜寝ているときに勝手にあれこれ思考し朝起きると頭が痛くなっていたという経験は誰しもがあるでしょう。修行者は、この寝ているときもしっかり自分の心を見張るそれが、ブッダが目覚めた人と言われる所以です。この夜も目覚めるには、常に人間的思考の運動を止めることに注意し、それを夜も続けます。そうして、思考が止まった状態で、自らのもう一つの心で、自分の心や身体を観察し、気づきを保つわけですが、ある程度慣れてくると、自動的に、人間的思考の運動が止まり、自動的に気づきが入るようになります。そうなると、寝ているときも無意識にそれができるようになるのです。今の状態は、自動的に人間的思考の運動が起こり寝ているときもそれが続いているわけですから、まずは、その運動を止めて変えていくことが必要になります。