スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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10月

スッタニパータ  学生バドラーヴダの質問1104の解説

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ー死の領域に愛着を感じているこの人々を〈取る執著ある人々〉であると観(み)て。」

 

 

それ故に、修行者は自らの反応の仕方を明らかに知って、人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、全世界においてなにものをも分別せず執してはならない。ー死の領域すなわちこの生⇔死がある世界に愛着を感じているこの人々を取る執著ある人々であると観(み)て。」

 

スッタニパータ  学生バドラーヴダの質問1103の解説

1101 バドラーヴダさんがたずねた、「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することなく、歓喜をすて、激流を乗り超え、すでに解脱(げだつ)し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

 

 

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多勢の人々が諸地方から集まって来ましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

 

 

1103 師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、その浮き沈み(両極端)の運動によって悪魔が人につきまとうに至る。あるときは、それが得られたとしても、時間と共に変化し失われる運動によって苦を生じるのである。それは、まさに悪魔が人につきまとうごとき運動である。

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問 1100の解説

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

 

 

修行者よ。名称と形態とに対する人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、貪りを全く離れた人には、両極端の運動による諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは生⇔死の生まれ変わりの運動である死に支配されるおそれがない。」

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問 1099の解説

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 

過去にあったものすなわち、人間的思考の運動(快⇔不快)の分別による煩悩を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに分別によって得ようとするものは、何ものもないようにせよ。現在においても、そなたが人間的思考の運動(快⇔不快)を制し何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問1098の解説

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り超(こ)えた人(ブッダ)に〈欲のないこと〉をおたずねしようとして、ここに来ました。安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼(まなこ)のある方(かた)よ。先生!それを、あるがままに、わたくしに説いてください。

 

 

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克(か)つようなものです。智慧ゆたかな方(かた)よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

 

1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー人間的思考の運動を制してその運動から出ることすなわち出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。両極端の分別をやめて、取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

スッタニパータ  学生カッパの質問1095の解説

1095 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による執着が転生の元である事をよく知って、よく気をつけ、現世において全く両極端の運動による煩(わずら)いを離れた人々は、悪魔とも呼ぶべき執着に伏せられない。かれらは両極端を制し執着の従者とはならない。」

スッタニパータ  学生カッパの質問1094の解説

1092 カッパさんがたずねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(す)(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起らないような洲(避難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」

 

 

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

 

 

1094 いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。分別をやめて、いかなる所有もなく、執着して貪り取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。人は所有を求め、執着によってこの無常の世に生れてくるからである。

 

 

スッタニパータ  学生トーデイヤの質問1091の解説

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?かれは智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方(かた)よ。」

 

 

1091 〔師いわく〕、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 

 

 

師いわく、「かれは人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制した願いのない人である。かれは両極端に対してなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからい(運動)をする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは両極端の何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 

スッタニパータ  学生トーデイヤの質問1089の解説

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑(ぎわく)を超えた人、ーかれはどのような解脱(げだつ)をもとめたらよろしいのですか?」

 

 

1089 師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、自ら視て知り諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に求めるような解脱は存在しない。」解脱を求めること、すなわち人間的思考の運動による執着の範疇にあるからである。

スッタニパータ  学生ヘーマカの質問1087の解説

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

 

 

このことをよく知って、人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、現世において全く両極端の煩(わずら)いを離れた人々は、常に中道である安らぎに帰(き)している。両極端の反応の仕方を制し世間の執著を乗り超えているのである」と。