スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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07月

スッタニパータ  学生モーガラージャの質問1119の解説

1116 モーガラージャさんがたずねた、「わたくしはかつてシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼(まなこ)ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』とわたくしは聞いております。

 

 

1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天(ぼんてん)の世界の者どもも、誉(ほま)れあるあなたゴーダマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。

 

 

1118 このように絶妙な見者(みて)におたずねしようとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」

 

 

1119 (ブッダが答えた)、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」

 

 

 

つねに自らの人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけ、自我すなわち自らの反応の仕方によるこだわりに強く執着する気持ちをうち破って、この世界の無常を知り、世界を空(くう)なりと観ぜよ。人間的思考の運動による望みは、かなったとしても一時的なものである。それは運動をするので、反対のものが目の前に現れてくるのであるから、その運動を制するのだ。そうして、この世の無常を悟り空を観じる。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない。解脱してもうこの無常の世に生まれてくることは無いのである。

スッタニパータ  学生ポーサーラの質問1115の解説

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、そこから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンには、この〈ありのままに知る智〉が存する。」

 

 

無所有の成立するもと(人間的思考の運動が止まった状態)を知って、すなわち『歓喜を喜び欲しあくせくすることは束縛である』ということを知って、それは、人間的思考の運動による欲望にもとづいた行動であると知って、その運動から出て中道を保ちそれについてしずかに観ずる。安立した(中道を保った)そのバラモンには、両極端を制しているので、このありのままに知る智が存する。

スッタニパータ  学生ポーサーラの質問1114の解説

1112 ポーサーラさんがたずねた、「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。

 

 

1113 物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものも存在しない』と観ずる人の智を、わたくしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」

 

 

1114 師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。すべての〈識別作用の住するありさま〉を知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

 

 

全ての識別作用のありさま。すなわちこのような運動の仕方をしているものはこうなると言う行く末を知りつくした如来は、かれがどのような反応の仕方によってそこに存在しているのかを知る。すなわちかれは、人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、解脱し、中道に至りそこをよりどころとしていると知る。

スッタニパータ  学生ウダヤの質問1111の解説

1110 「どのようによく気をつけて行なっている人の識別作用が、止滅(しめつ)するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

 

 

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」

 

 

内面的すなわち心の中でも、外面的、目、耳、鼻、舌、肌、で感じる感覚的感受においても、人間的思考すなわち快⇔不快に分けない人。このように日々よく気をつけて生活をしている人の識別作用が止滅するのである。

 

 

 

スッタニパータ  学生ウダヤの質問1109の解説

1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

 

 

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

 

 

世の中の人々は、歓喜を受けるとそれをまた欲し、その想いによって束縛される。その想いが人をあくせく行動させるのである。すなわちその想いによって常にあくせくし、束縛されて行く。この人間的思考の運動である(快⇔不快)の運動にもとづいた。両極端にこだわる執着。すなわち妄執を人間的思考の運動を止めることによって断じ、中道に帰する事によって安らぎがあると言われるのである。

スッタニパータ  学生ウダヤの質問1107の解説

1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

人間的思考の運動を止めた状態である、すなわち中道の平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、それらは、人間的思考の運動を止めた状態の真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、人間的思考を制止して無明を破ること、中道を保った正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。

スッタニパータ  学生ウダヤの質問1106の解説

1105 ウダヤさんがたずねた、「瞑想に入って坐(ざ)し、塵垢(ちりあか)を離れ、為(な)すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸(ひがん)に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明(むみょう)を破ること、正しい理解による解脱(げだつ)、を説いてください。」

 

 

1106 師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。

 

 

異性に対する肉体的な欲求は、人間的思考の運動である快⇔不快の運動にもとづいたものであるから、これを捨て去る。では、どのような形があるべき姿なのか?本来、男性と女性は、思考の巡り方が逆なのである。自らと異なる思考を受け入れ人間的思考を止める事によって、お互いを理解し、一つの事を成し遂げる。これが本来のあるべき姿である。人間的思考の運動(快⇔不快)をすると憂いも立ち上がる。これも、運動を制することによって捨て去るのである。浮き沈みもまた、人間的思考の運動であり、悔恨もまた、過去の出来事を分別することによって起こるのである。かの解脱者は、人間的思考の運動を常に制して遂には彼の岸へ到達したのである。

 

スッタニパータ  学生バドラーヴダの質問1104の解説

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ー死の領域に愛着を感じているこの人々を〈取る執著ある人々〉であると観(み)て。」

 

 

それ故に、修行者は苦の根源が、人間的思考の運動によるものだと明らかに知って、自らの反応の仕方によく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ー死の領域に愛着を感じているこの人々、すなわち想いによってまた、生まれ変わりたいと想う人々を人間的思考の運動による執著ある人々であると観(み)て。人は、人間的思考の想いによって、この無常であり変化あるこの世に生まれてくる。変化ある世界で人は常住を求めるのであるから、必ず苦を生じる。そう、この世は苦の世界なのである。そして、必ず死ぬ世界でもある。修行者よ、この世界に執着を生じてはならない。そして、彼の岸へ到達せよ。

スッタニパータ  学生バドラーヴダの質問1103の解説

1101 バドラーヴダさんがたずねた、「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することなく、歓喜をすて、激流を乗り超え、すでに解脱(げだつ)し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

 

 

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多勢の人々が諸地方から集まって来ましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

 

 

1103 師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

 

 

上にも下にも横にでも中間にでも、人間的思考の運動による感覚的感受を制し、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって人間的思考の運動すなわち、禍福が悪魔のように人につきまとうに至る。一時的に人間的思考の運動による快を得たとしても、それは、運動をするので、全く反対のもの、すなわち不快が目の前に現れる。この運動を人間はしているのである。この運動をしている限り、人は、快を得ても、悪魔のような不快につきまとわられる運動に陥るのである。

 

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問1100の解説

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

 

 

修行者よ。名称と形態とに対する人間的思考の運動を制して、貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩すなわち分けて取ろうとする想いは存在しない。だから、かれは、その想いによって再びこの無常の世に生まれることは無く、死に支配されるおそれがない。