スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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02月

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句779の解説

779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執着に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、この世をもかの世をも望まない。

 

 

目の前に広がる現象とその現象に対する自らの反応の仕方すなわち想いを知り尽くして、その想いから来るところの煩悩による激流を渡れ。聖者は、無常を感じて、所有したいという執着に汚されることなく、煩悩の矢を抜き去って、自らの心を観察することに努め励んで、修行を行い、それら煩悩による想い、すなわちこの世に対する人間的思考の運動による想いを制しあるいは、人間的思考の運動によるかの世への想いをも捨てて、望むことは無い。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句778の解説

778 賢者は、両極端に対する欲望を制し、(感官と対象との)接触を知りつくして、貪ることなく、自責の念にかられるように悪い行いをしないで、見聞することがらに汚されない。

 

 

賢者は人間的思考の運動(快⇔不快)により発生する両極端の欲望を制し、現象とそれを感受する感覚器官による反応の仕方すなわち現象に対して、両極端の反応をし、それが感情へ伝わって思考が生まれるすべを知り尽くして、貪ることなく、自責の念にかられるように悪い行いをしないで、見聞することがらをあるがままに観察し、真理を視たのである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句777の解説

777 (何ものかを)わがものであると執着して動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ー諸々の生存に対して執着することなしに。

 

 

人は、何故動揺するのか?それは、失われるものに執着をしているからである。人は本能的に執着の対象が失われることを知っている。故に動揺するのである。それは、あたかも水の少ないところにいる魚の如く、いつ失われるかわからない水を求めているようなものである。それを知って修行者は、対象に対して、わがものという想いを捨て去って、対象を掴もうとせず、それを手放して、無常を感じながら、あるがままに世の中を遍歴し、遂には真理を視たのである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句776の解説

776 この世の人々が、諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。

 

 

世の人々は、現在の生存状態を望んで、あるいは掴んだものを離そうとしないが、この世は変化があり、あるいは無常であるので、必ず手放すときは訪れる。それは、どんなに輝かしい生存状態でも、いかに手放したくない生存状態でも同じである。それを知って、聖者は、何かを掴むこと、あるいは離さないことは苦であるという事を知って、この世の無常を感じて、掴むことなく、あるがままに世の中を遍歴し、遂には安穏を観たのである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句775の解説

775 だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、そのために不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

 

 

人は、いずれは手放さなければならない欲望のために不正を行ってでも手に入れようとする。後に残るのは、手放さなければならない欲望の対象と、不正をしたという事実である。故に欲望のために不正をしてはならないのである。人は、その対象の変化を観ようとせず、無常を知らずして、うろつき彷徨い、悪因を作り落ちてゆくのであるから、対象の変化と自らの心ををよく観察し明らかに知って世の中を遍歴し、諸々の欲望を回避するべきである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句774の解説

774 かれらは欲望を貪り、熱中し、溺(おぼ)れて、吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。

 

 

欲望を貪るものは、その欲望の対象しか見ていない。かれの視線はそのことに熱中し、溺れている。それは、まるで陽炎を掴もうとしているようなものである。その対象を掴んだとしても、死が訪れれば必ず手放さないといけないのであるから、苦しむのである。そうしては、またその対象を求めて生まれては死ぬ。それを知って聖者は、その執着の対象を手放し、見方を広げ遂には彼の岸へと到達したのである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句773の解説

773 欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮(こりょ)しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。

 

 

実に人間は、貪りの連続である。それは、過去を思い出しては、思考が動き、未来を考えては、また思考が動く、あるいは、目の前の出来事に対しても思考が動き、その思考を止めないかぎりには、真理を見ることができないからである。それを知って聖者は、自らの思考を制して、現象をあるがままに見る。そうして過去を捨て去り、未来を想うこともなく世の中を遍歴し遂には、真理を視たのである。0

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句772の解説

772 窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、執着し。多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

 

 

人は、人間という動物の身体に入り、目の前に現れる現象に対して、あれこれと思考する。その思考は、やむことなく煩悩の対象を追いかけ、掴んでは、また次の対象を追いかける。実にそのような人々は、対象を手放す事をせず、対象を追いかける。この世は無常であるから、その対象が離れるときに、対象を掴んで離さない人々は、苦を生じるのである。故に次の対象を求め、迷い彷徨う。聖者はそれを知って、自らの思考を止めて、対象を手放し、その対象と共に苦しみをも手放して、苦しみの対象から遠ざかり、遂には真理を見て、安穏に至ったのである。

スッタニパータ 欲望771の解説

771 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

 

 

人は何を中心に動いているのか?それは、様々な欲望に基づいて動いている。人間的思考の運動(快⇔不快)の分別が感情へと作用し、それを取る。取ると運動をするので、禍福が発生する。故に苦しむのである。それを知って修行者は、自らの人間的思考の運動を制して、感情へと作用することなく、あるがままに観察をして、激流を回避し、遂には彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ 欲望769、770の解説

769 ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

 

 

770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。

 

 

人は、何故、欲望によって、災難に見舞われるのでしょうか?それは、人が、様々な、欲望を追い求めることによって、視野が狭くなり、一方的な見方になるからです。つまり、その対象しか見てないし、見えてない。ですから、その対象にまつわる災難が襲いかかってきます。欲望を制することが出来たらどうでしょうか?全く同じような状況にあっても、それを観ることができれば、災難は回避できます。その人の盲点から、激流が侵入して、気づいたときには水浸しの状態です。私たち修行者は、常に自らの人間的思考の運動によく気をつけて、その運動がもたらす欲望には災難がついてまわることを知って、それら思考を制して、よく対象と自らの心を観察し、危険を回避して世の中を生き抜くのです。