人は目の前に現れたものに対して、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方にって儲け話、家、お金、車、雇用者、異性、親族、その他を両極端に分け好きなものを欲する貪りが発生すると、それに伴いそれが得られない場合は怒りを生じ、得るためにうそをつくような迷いも生じるこの連鎖がかれに付き纏う災難なのである。ひとたびこの反応の仕方により煩悩が生じるとあたかもやぶれた船に水が浸入するがごとくかれを飲み込んでゆく。聖者は、貪りにはこの難がついてまわることを知って、よく気をつけこの難を回避し、心は寂静に帰しているのである。