スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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ご法話

スッタニパータ 欲望769、770のご法話

人は目の前に現れたものに対して、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方にって儲け話、家、お金、車、雇用者、異性、親族、その他を両極端に分け好きなものを欲する貪りが発生すると、それに伴いそれが得られない場合は怒りを生じ、得るためにうそをつくような迷いも生じるこの連鎖がかれに付き纏う災難なのである。ひとたびこの反応の仕方により煩悩が生じるとあたかもやぶれた船に水が浸入するがごとくかれを飲み込んでゆく。聖者は、貪りにはこの難がついてまわることを知って、よく気をつけこの難を回避し、心は寂静に帰しているのである。

スッタニパータ 欲望768のご法話

人は、この人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が作り出す両極端の運動によってあくせく動き割りその心は激流の如くである。ある時は、好きなものを追いかけ、ある時は嫌いなものを排除しようとする。その考えにとらわれ、動き回るのである。故に、この両極端の運動をしている者は、安らげないのである。常に運動により心配に襲われ、無常の世に苦しめられる。それを知って聖者は、自らの運動に注視し、それを制し、自らの心をよくコントロールし、遂には彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ 欲望767のご法話

人は、喜びを追い求めそれを得ようとする。そしてその対象を掴もうとする。その対象は、何か?それは苦である。人は、欲望の対象が得られないならば矢に射られたかのように苦しむが、それらを掴まなければ、苦しみことはない。人は知るべきである。自らが掴もうとしている対象は苦であることを。それを知ったならば、人はもはや苦しむことはないであろう。

スッタニパータ 欲望766のご法話

人間は、好きなものを手に入れると単純に喜ぶが、それは同時に苦しみをも手にしているのである。すなわち人間的思考の運動である喜び⇔悲しみの運動である。この世は無常であるから、欲望の対象を手に入れたと同時にそれらを失うと言う苦しみへと変化を始めるのである。世の人々は、この運動を繰り返し、自らが作り出した激流(喜び⇔悲しみの運動)に溺れかかっている。それを知って聖者は、全ての喜びを捨て去って、悲しみを回避し、遂には安穏を観たのである。