自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)にもとづいて何かを掴もうとする人々は、この世の中ではおおよそ半分の人々は、反対の意見、あるいは反対の見方をするのであるから誹りや噂は免れないのである。それらの思考の運動を制し、あるがままに全てを見る修行者は、何かを掴むこともなく捨てることもなくそれらの束縛から解放されているのである。
スッタニパータ 悪意についての八つの詩句787のご法話
ご法話
ご法話自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)にもとづいて何かを掴もうとする人々は、この世の中ではおおよそ半分の人々は、反対の意見、あるいは反対の見方をするのであるから誹りや噂は免れないのである。それらの思考の運動を制し、あるがままに全てを見る修行者は、何かを掴むこともなく捨てることもなくそれらの束縛から解放されているのである。