スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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ご法話

スッタニパータ サーリープッタ974のご法話

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらから入る人間的思考の運動(快⇔不快)を制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する人間的思考の運動(快⇔不快)を抑制せよ。美しい⇔醜い、快音⇔嫌音、美味しい⇔不味い、いい匂い⇔臭い、快⇔不快と言う反応の仕方を制することである。

スッタニパータ サーリープッタ973のご法話

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

他人からことばで警告されたときには、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)が動かないようによく気をつけ、心をおちつけて自らの心を観察せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心で反応してはならない。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。これらは、全て人間的思考の運動(快⇔不快)のままに感情が反応して起こるからである。運動を制しない限り真理を視ることは出来ない。

スッタニパータ サーリープッタ972のご法話

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

眼を下に向けて虫などを踏まないようによく気をつけ、心がうろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、心を平静にして、精神の安定をたもち、運動がもたらす思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。それらを制して、自らの心と目の前の現象を観察するのである。そのようにして修行者は真理を視るのである。

 

スッタニパータ サーリープッタ971のご法話

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

托鉢において、適当な時に食物と衣服とを得て、ここで少量に満足するために、衣食の量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。得られなかったとしても、人々をそしることを想ってはならぬ。常に人間的思考の運動を制して、自らの心を観察し、反応の仕方を知れ、自らの心と言うものを知るべきである。

 

スッタニパータ サーリープッタ970のご法話

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

 

すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ修行者は、これら(四つの)憂いに導く人間的思考の運動(快⇔不快)による思慮を抑制せよ。快を追究してはならぬ。それらの想いが立ち上がらぬようにせよ。

スッタニパータ サーリープッタ969のご法話

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、現象を観察したところから得られるところの智慧をまず第一に重んじて、思考を制した状態を保ち、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

スッタニパータ サーリープッタ968のご法話

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

 

怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。怒りは、人間的思考の運動(快⇔不快)による快が得られない時に立ち上がり、高慢は、快が得られた時に立ち上がるのである。それらを制する上でも修行者は、快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。そのようにして怠ることなく現象を観察せよ。

 

スッタニパータ サーリープッタ967のご法話

967 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

 

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、執着の対象への想いを取り除き、それらを手放し、それらを欲する想いを捨て去る。想いを離れる事を目指す修行者は、盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)制し、無常を観じて、弱いものでも強いものでもあらゆる生きものに慈(いつく)しみを以て接せよ。人間的思考の運動(快⇔不快)が動いて心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。修行者は、このように日々過ごす事である。

スッタニパータ サーリープッタ966のご法話

966 病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に努力をなすべきである。

 

 

病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して堪(た)え忍ぶべきである。かの執着の対象を捨て去った家なき人は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制する努力をなすべきである。そのように制して絶えず怠ることなく観察するのである。

スッタニパータ サーリープッタ965のご法話

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求である人間的思考の運動(快⇔不快)を制することを実践して、他の諸々の危難である感情の立ち上がりにうち勝て。