スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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ご法話

スッタニパータ 学生ポーサーラの質問1115のご法話

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、そこから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンには、この〈ありのままに知る智〉が存する。」

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、全てを手放し、無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜を得続ける事は束縛である』ということを知って、無常をこのとおりであると知って、運動の範疇から出て現象と心についてしずかに観ずる。安立したその修行者には、この両極端に分けずありのままに知る智が存する。」

スッタニパータ 学生ポーサーラの質問1114のご法話

1112 ポーサーラさんがたずねた、「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。

 

 

1113 物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものも存在しない』と観ずる人の智を、わたくしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」

 

 

1114 師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。すべての〈識別作用の住するありさま〉を知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、反応の仕方を見極め、すべての識別作用の住するありさまを知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは、二元の思考から四智思考へと転換し、四方向から1方向へとそれらの法輪をまわし解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1111のご法話

1110 「どのようによく気をつけて行なっている人の識別作用が、止滅(しめつ)するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

 

 

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」

 

 

「内面的にも外面的にも自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、感覚的感受を喜ばない人、このようによく人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて修行を行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1109のご法話

1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

 

 

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

 

 

「世人は歓喜に束縛されている。両極端に分け何かを得ようとする思わくが世人をあれこれ行動させるものである。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、それらを手放し、妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1107のご法話

1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制した平静な心がまえと両極端に汚されぬ念(おも)いの清らかさ、分けることなく全体を鏡のように観察する集中力ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1106のご法話

1105 ウダヤさんがたずねた、「瞑想に入って坐(ざ)し、塵垢(ちりあか)を離れ、為(な)すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸(ひがん)に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明(むみょう)を破ること、正しい理解による解脱(げだつ)、を説いてください。」

 

1106 師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。

 

師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、自らの感情を制御し、何ものをも掴むことなく、愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、何かを得ようとあれこれ動くことなく、悔恨(かいこん)をやめること。すなわち両極端にうろつくことなく、中道を歩み、観察に集中することである。それが正しい気づきに繋がる。

スッタニパータ 学生バドラーヴダの質問1104のご法話

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ー死の領域に愛着を感じているこの人々を〈取る執著ある人々〉であると観(み)て。」

 

 

それ故に、修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものをも執してはならない。ーまた生れたいという想いである死の領域に愛着を感じているこの人々を取る執著ある人々であると観(み)て。」

 

スッタニパータ 学生バドラーヴダの質問1103のご法話

1101 バドラーヴダさんがたずねた、「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することなく、歓喜をすて、激流を乗り超え、すでに解脱(げだつ)し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

 

 

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多勢の人々が諸地方から集まって来ましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

 

 

1103 師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、執著する妄執(対象)をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔(苦しみ)が人につきまとうに至る。

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1100のご法話

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

 

 

修行者よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端に分けることなく名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは、再び生まれたいと言う想いを制し、死に支配されるおそれがない。

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1099のご法話

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 

過去にあったもの煩悩を涸渇(こかつ)せしめよ。過去の記憶によって人間的思考の運動(快⇔不快)を起こしてはならない。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。未来への希望、あるいは妄想によって人間的思考の運動(快⇔不快)を起こしてもならない。中間においても、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しない。すなわち現在起こっていることに対しても人間的思考の運動(快⇔不快)を制することが出来たならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。