スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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ご法話

スッタニパータ 学生ドータカの質問1068のご法話

1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」

 

 

1068 師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

 

 

師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

スッタニパータ 学生ドータカの質問1066のご法話

1065 バラモンさま。慈悲(じひ)を垂(た)れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです。わたくしは、虚空(こくう)のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」

 

1066 師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

 

 

師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、現象と心を観察し、その気づきによって、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて人間的思考の運動(快⇔不快)を制して観察を行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

スッタニパータ 学生ドータカの質問1064のご法話

1063 「わたくしは、神々と人間との世界において何ものも所有せずにふるまうバラモンを見ます。あまねく見る方(かた)よ。わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方(かた)よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」

 

 

1064 「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」

 

 

ドータカよ。わたくしは世間における自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事ができない、いかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、自らの心と目の前の現象を観察することによって最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。

スッタニパータ 学生ドータカの質問1062のご法話

1061 ドータカさんがたずねた、「先生!わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」

 

 

1062 師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において賢明であり、よく気をつけて、熱心につとめよ。この(わたくしの口)から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」

 

 

師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において賢明であり、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて、運動を止めることに熱心につとめよ。運動を制した心で、このわたくしの口から出る声を聞いて、よく自らの心を観察し自己の安らぎを学べ。」

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1060のご法話

1060 またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」

 

 

またかの人は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、真理を見、この世では悟った人であり、修行の達人であり、心と現象の観察によって種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。真理を知った『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」

 

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1059のご法話

1057 「偉大な仙人のこのことばを聞いて、わたくしは喜びます。ゴータマ(ブッダ)さま。煩悩の要素のない境地がよく説き明かされました。たしかに先生は苦しみを捨てられたのです。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのです。

 

1058 聖者さま。あなたが懇切に教えみちびかれた人々もまた今や苦しみを捨てるでしょう。竜よ。では、わたくしは、あなたの近くに来て礼拝しましょう。先生!どうか、わたくしをも懇切に教えみちびいてください。」

 

1059 「何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、ーかれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸(ひがん)に達して、心の荒(すさ)びなく、疑惑もない。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、何ものをも所有せず、欲の生存に執著しない修行の達人であるとそなたが知った人、ーかれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは全ての思考の運動を制し、観察によって真理を見る事によって彼岸(ひがん)に達して、心の荒(すさ)びもない。それは、目の当たりに見る理法によって疑いようのない真実なのである。

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1056のご法話

1056 このようにしていて、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂(うれ)いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」

 

 

このようにしていて、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、怠ることなく現象と心の観察を行う修行者は、運動によって、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂(うれ)いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、理法を見、苦しみを捨てるであろう。」

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1055のご法話

1054 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えるでしょう。」

 

 

1055 師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。

 

 

師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、喜びと偏執と識別とを除き去って、それらの運動によって変化する生存状態のうちにとどまるな。自らの運動を止めない限りこの変化する世界から逃れることは出来ないからである。

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1053のご法話

1052 「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かしてくださいました。あなたに他のことをおたずねしますが、そうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り超えるのですか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かしてください。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」

 

 

1053 師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えよ。

 

 

師が答えた、「メッタグーよ。伝え聞いた伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得される人間的思考の運動(快⇔不快)を制して目の前の現象と自らの心を観察することによって気づくこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて観察を行い、世間の執著を乗り超えよ。

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1051のご法話

1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることであり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」

 

 

 

実に人間的思考の運動(快⇔不快)を止める修行を知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事を知ることであり、運動によって苦しみの生起のもとを観じた人は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事によって再生の素因(=執著)を制して、苦しみをつくってはならない。」