ご法話

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スッタニパータ マーガンディヤ843のご法話

その修行者はどうして『(わが説は)真実である』と論ずるであろうか。またかれは『(汝の説は)虚偽(きょぎ)である』といって誰と論争するであろうか?自らの人間的思考の運動(正⇔誤)を制し、『等しい』とか『等しくない』とかいうことのなくなった人は...
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スッタニパータ マーガンディヤ842のご法話

自らの人間的思考の運動(優⇔劣)を立ち上げて『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣(おと)っている』とか考える人、ーかれはその思いによって論争するであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人=人間的思考の運動(優⇔劣)を制する...
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スッタニパータ マーガンディヤ841のご法話

840 マーガンディアが言った、「もしも、『教義によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳によっても清らかになることができない』と説き、また『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになる...
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スッタニパータ マーガンディヤ838のご法話

マーガンディアよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも...
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スッタニパータ  マーガンディヤ836のご法話

師は答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における過誤(かご)=「人間的思考の運動(快⇔不快)...