939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩の矢に貫かれた者は、両極端を求めて、あらゆる方角をかけめぐる。人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
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939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩の矢に貫かれた者は、両極端を求めて、あらゆる方角をかけめぐる。人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。
生きとし生けるものは死ぬ間際において、逆さづりに会うような苦しみに襲われる。それは、生への執着、所有する物あるいは人への執着である。それらを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき人間的思考の運動(快⇔不快)による煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。人は、常に人間的思考の運動(快⇔不快)の運動によって両極端に分けそれらを掴んで離そうとしない。その結果が死ぬ間際に現れたのである。
937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
この人間的思考の運動(快⇔不快)によって形成された世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて人間的思考の運動(快⇔不快)によって動揺している。わたくしは自分のよるべき住所すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)を止めるに適した場所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。世の人々は、運動を繰り返しているのである。
936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
この世は無常である。人間的思考の運動(快⇔不快)にょって何かを掴もうとしたとしても、あるいは抗争によって一時的に何かを得たとしても、それは、わずかな間であるまさに水の少ないところにいる魚の如くである、その魚のように人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。人間的思考の運動(快⇔不快)によって、何も見えていないからである。
935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
殺そうと争闘する人々を見よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することが出来ずに、何かを掴もうと武器を執(と)って打とうとしたことから自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがその止むことのない運動にぞっとして、巻き込まれまいと、それを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に思考を制することで、みずからに勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、人間的思考の運動(快⇔不快)を止めた現象の観察によって、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、現象より学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。
修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて学べ。人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて自らの思考の観察を怠ってはならない。
932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。
諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方をよく観察し制して敵対的な返答をしないからである。常にこのように修行するのである。
931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、何ものをも求めることなく、何かを得ようと虚言をなすことなかれ。何かを掴み知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。他人との比較は自らの修行とは全く関係のない事だからである。自己の修行を錬磨せよ。
930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。
また修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、心の中で望んだ利益を得たとしても、それらにも気づき、それらを捨て去り、高慢であってはならない。また自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。心に潜む魔を撃破せよ。何かを達成しても、傲慢(ごうまん)であってはならない。常に思考の運動を制して、観察を怠るな。不和をもたらす言辞を語ってはならない。怒りは人間的思考の運動(快⇔不快)による貪りがもたらす感情である。それらを制して世の中を遍歴せよ。