935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
殺そうと争闘する人々を見よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することが出来ずに、何かを掴もうと武器を執(と)って打とうとしたことから自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがその止むことのない運動にぞっとして、巻き込まれまいと、それを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
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935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
殺そうと争闘する人々を見よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することが出来ずに、何かを掴もうと武器を執(と)って打とうとしたことから自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがその止むことのない運動にぞっとして、巻き込まれまいと、それを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に思考を制することで、みずからに勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、人間的思考の運動(快⇔不快)を止めた現象の観察によって、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、現象より学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。
修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて学べ。人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて自らの思考の観察を怠ってはならない。
932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。
諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方をよく観察し制して敵対的な返答をしないからである。常にこのように修行するのである。
931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、何ものをも求めることなく、何かを得ようと虚言をなすことなかれ。何かを掴み知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。他人との比較は自らの修行とは全く関係のない事だからである。自己の修行を錬磨せよ。
930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。
また修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、心の中で望んだ利益を得たとしても、それらにも気づき、それらを捨て去り、高慢であってはならない。また自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。心に潜む魔を撃破せよ。何かを達成しても、傲慢(ごうまん)であってはならない。常に思考の運動を制して、観察を怠るな。不和をもたらす言辞を語ってはならない。怒りは人間的思考の運動(快⇔不快)による貪りがもたらす感情である。それらを制して世の中を遍歴せよ。
929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。
修行者は、売買に従事してはならない。これは、人間的思考の運動(浮き⇔沈み)をたらす。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。これは、人間的思考の運動(自⇔他)の運動である。また村の人々と親しく交わってはならない。これは、自らの状態に執着をする人間的思考の運動(安心⇔不安)である。利益を求めて人々に話しかけてはならない。これも、人間的思考の運動から感情への(浮き⇔沈み)をもたらす。これら人間的思考の運動がもたらす間違えた思惟を制し、観察に専念する者こそ修行者なのである。
928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。
修行者は、非難されても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)をよく制して、くよくよしてはならない。称讃されても、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、高ぶってはならない。称賛などを求める貪欲(とんよく)と称賛などを手放そうとしない慳(ものおし)みと称賛が得られない怒りと掴めない事による悪口とを除き去れ。
927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。それらに心が動揺することなく、人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、あるがままに現象を観察するのである。そのようにして真理を見よ。
926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。
多く眠ってはならぬ。熱心自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することにに努め、目ざめているべきである。人間的思考の運動(快⇔不快)を制する修行に対して、ものぐさ(面倒くさがること)を取り除き、自らに対する偽(いつわり)りと、修行た関係のない周りとの談笑と遊戯を捨て、両極端による淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。そうして怠ることなく修行に励み真理を見るのである。