スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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豆知識

人はなぜ苦しむのか?

お釈迦様がスッタニパータで説かれたものそれは、人々が苦しみから脱出する方法です。

人は、物事をすぐに、好き、嫌いに分けて、好きなものを取ろうとして、嫌いなものを排除します。あるいは、自分の理想にこだわってその状態を何とか保ちたいと思うのです。しかし、この世は、無常つまり、常に変化すると言う性質がありますから、同じ状態にこだわると状態は変化しますから苦しみます。あるいは、好き⇔嫌いと言う運動も起こりますので、何かを好きだと思って掴むとそれは苦しみも同時に掴むことになります。世の中の人々の苦しみは、このようなこだわりによるものだとお釈迦様はおっしゃっているのですね。人々は、すぐに両極端に分けて好きなものに飛びつくので、そのものの性質がわからずに苦しみにも飛びついているわけです。

そこで、お釈迦様は、まず、自分の好き、嫌いと言う運動によく気をつけて、その思考を止める事を教えられました。つまり、欲しいと言う思考を止めて掴まない事。それは、苦しみを掴まない事だからです。

そして、その思考を止めた目で分別する対象をよく観察すると、その対象の性質がわかってきます。それは無常だと言う事。つまり掴んでも一時的だと言う事。それは変化し、いずれ自分のもとを離れますから、対象に執着をすることは苦しみだとわかります。これが智慧です。

更に自分の心を観察すると。ある想いが立ち上がって、時間と共に消滅することがわかります。つまり心も変化する。無常ですね。ですから、心も一時的な想いにこだわったり、同じ状態に執着をすると苦しむと言う事がわかります。

お釈迦様は世の人々が苦しみから脱出するには、まず、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を止める事。次にその止めた目で対象、あるいは自分の心をよく観察することで、対象の性質がわかり、自分の心の性質もわかり、何かを掴もうとせず、手放す事。それが人が苦しみから脱出する唯一の方法と教えられたのです。

事・行・理の供養(三福道)について

よく在家の解脱への道として、事(じ)・行(ぎょう)・理(り)の実践(三福道)と言われていますが、実際にその意味を理解し実践されている方は少ないようなのでここで、解説をします。

 

まず、事(じ)の供養これは身供養とも呼ばれ、いわゆる先祖供養(このことはスッタニパータには出てきませんが必要な部分)の事。実際に先祖供養が無いスリランカの僧侶などは、行、理の修行をされていても、事の供養が無いため、表面上はでは、修行を行っていても、心の中では、人間的思考の運動が止まっていません。我々には無数の先祖がおられ、そのほとんどは、人間的思考の運動のまま、お亡くなりになられるわけです。先祖のお霊は、我々の近くにいるわけですから、そのままの状態では、その運動の影響を受けます。簡単に言うと職場でも、家庭でも近くにいる人の影響を多少なりとも受けると思いますが、同じようなことですね。先祖がそのような状態では、中々自分だけ人間的思考の運動を止めることは難しくなる。そこでこの事(じ)の供養が必要となるわけです。

 

次に行(ぎょう)供養ですが、これは、我が身(自分勝手な修行という意味では無い)と言う、うちは、変わらない。すなわち人間的思考の運動のままでは、何も変わらないので、この人間的思考の運動を止めて中道を目指すと言う行(スッタニパータは、これが中心となる)です。自分の見方を捨て、こだわりを捨て中道を目指す。これが修行と言うわけです。

 

そして、理の供養、この成仏法すなわち人間的思考の運動を止める修行方法を広く世間に伝える。人間的思考の運動を止めることがいかに必要で苦を滅する道なのかを広く伝える。このことが理の供養と言われています。この3つを実践することが、解脱への近道となります。

 

皆さんは、実践出来ていますでしょうか?共に彼の岸へ到達しこの苦の世界(修練場?)から脱出(卒業)し遂には聖者を目指すのです。ここに来られた方はもう、道は見えているわけですから、実践あるのみですね。