スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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八正道(正命)の解説

正しい生活、正命
衣食住について貪らず、適正な生活。
よこしまな生き方を断って、正しい出家の法を守って生きるこれを名づけて正命と言う。

 

人間は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって、貪り求め、あるいは排除しようとする。これが邪な生き方なのである。修行者は、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、中道を守った生き方あるいは自らの命を維持する。それによって命の何たるかを知り、真理を得る。これをもって正命と呼ぶのである。

八正道(正業)の解説

正しい行い、正業
殺生、盗み、不倫、などよこしまなことをしない。
殺生を離れること、与えられざるを盗らざること、清浄ならぬ行為を離れことを名づけて正業と言う。

 

人間は、行動を起こすとき、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって、行動をする。故に行いが暴走するのである。修行者は、常に自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によく気をつけ行動する。それによって、邪な想いから離れ、あるがままに遍歴し、真理を見る事ができるのである。それをもって、正業と呼ぶのである。

八正道(正語)の解説

正しい語、正語
うそいつわり、そしり、荒々しい言葉を止める。
人間的思考を止め、遠回しに策したことばを使わない。
偽りの言葉を離れ、中傷する言葉を離れ、麄悪な言葉を離れ、雑穢(けがれ)なる言葉を離れることを名づけて正語と言う。

 

正しい語、正語とは?人間は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって、何か(好きな)を求めるとき、それが手に入るように策した言葉を使う。あるいは嫌いなものを遠ざけようと、策した言葉を使うのである。修行者は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を止め、よく気をつけて言葉を発する。その時に初めて気づきを得、真理に達する。これをもって正語と言うのである。

八正道(正思)の解説

正しい思惟、正思
煩悩を離れること、憤りの心をおこさないこと、傷つけないことなどを常に心がける。
人間的思考を止め、よく気をつけ、分けない心で正しく思惟する。(反対の意見も受け入れる心を持つ鏡のような心)
迷いの世間を離れ、悪意から離れ、他者を害したいと言う想いから離れる心を名づけて正思と言う。

 

正しく思惟するとは?人は人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によつて、自らの好みに基づいて判断をする。故に反対の意見を聞こうとしないのである。この人間的思考の思惟もやはり見ているものは好きな物ばかりであって、その事ばかりを想い巡らず。それでは全体を思惟することは出来ないのである。故に真理を見る事ができない。修行者は、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し全体をあるがままに思惟することによって、気づきを得、それが真理となる。これをもって正思と言うのである。

八正道(正見)の解説

正しい見解、正見
真理に対してありのままに見る。
人間的思考を止め、分けない心でありのままに見る。(好みにとらわれず全てを受け入れて見る鏡のような見方)それによって、苦の生起の元を知り、苦を滅する方法を知り、苦の滅尽に至る道を知る事を名づけて正見と言う。

 

人間は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって、好きなものは見ようとするが、嫌いなものは見ようとしない。故に全体を見る事ができないのである。全体を見る事ができなければ、真理を見る事ができない。正見とは、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、分けずに、あるがままに見る事である。その時に初めて、正しく見る事ができる。それを正見と呼ぶ。

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1124の解説

1146 「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」

 

 

「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが人間的思考の運動(信⇔疑)を制して信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。何ものをも掴むことがないならば、そなたは死の領域(りょういき)を乗り越えて彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1123の解説

1122 「四方と思惟(しい)と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識(し)られないなにものもありません。どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

1123 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

 

師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することができず、妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなく自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することにはげみ、妄執を捨てて、観察によって気づきを得、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1121の解説

1120 ピンギヤさんがたずねた、「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。ーどうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」

 

 

1121 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は病いなどに悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道による観察によって真理を見、物質的形態を捨てて、何ものをも掴むことなく、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

スッタニパータ 学生モーガラージャの質問1119の解説

1116 モーガラージャさんがたずねた、「わたくしはかつてシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼(まなこ)ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』とわたくしは聞いております。

 

1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天(ぼんてん)の世界の者どもも、誉(ほま)れあるあなたゴーダマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。

 

1118 このように絶妙な見者(みて)におたずねしようとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」

 

1119 (ブッダが答えた)、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」

 

 

(ブッダが答えた)、「つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、両極端を掴もうとする自我に固執する見解をうち破って、無常を感じ、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、「〈死の王〉=生まれて死ぬこと繰り返す領域」は見ることがない。」

スッタニパータ 学生ポーサーラの質問1115の解説

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、そこから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンには、この〈ありのままに知る智〉が存する。」

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、両極端を掴まない無所有の成立するもとを知って、すなわち両極端を掴もうとする『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、「そこ=運動」から出て「それ=真理」についてしずかに観ずる。安立したその修行者には、この〈ありのままに真理を知る智〉が存する。」