スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 欲望771のご法話

人間の煩悩はよく激流に例えられる。それは、ひとたびその流れ(運動)が始まったならば、激流の如く流れだし、その流れを止めることは非常に困難だからである。人は自らの煩悩によってその激流を作り出し、自らが作ったその激流に溺れる。故に気をつけるのだ。日々自らの反応の仕方によく気をつけその激流を回避せよ。その気をつけることこそが、船の水を汲みだすことなのである。

スッタニパータ 欲望769、770のご法話

人は目の前に現れたものに対して、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方にって儲け話、家、お金、車、雇用者、異性、親族、その他を両極端に分け好きなものを欲する貪りが発生すると、それに伴いそれが得られない場合は怒りを生じ、得るためにうそをつくような迷いも生じるこの連鎖がかれに付き纏う災難なのである。ひとたびこの反応の仕方により煩悩が生じるとあたかもやぶれた船に水が浸入するがごとくかれを飲み込んでゆく。聖者は、貪りにはこの難がついてまわることを知って、よく気をつけこの難を回避し、心は寂静に帰しているのである。

スッタニパータ 欲望768のご法話

人は、この人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が作り出す両極端の運動によってあくせく動き割りその心は激流の如くである。ある時は、好きなものを追いかけ、ある時は嫌いなものを排除しようとする。その考えにとらわれ、動き回るのである。故に、この両極端の運動をしている者は、安らげないのである。常に運動により心配に襲われ、無常の世に苦しめられる。それを知って聖者は、自らの運動に注視し、それを制し、自らの心をよくコントロールし、遂には彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ 欲望767のご法話

人は、喜びを追い求めそれを得ようとする。そしてその対象を掴もうとする。その対象は、何か?それは苦である。人は、欲望の対象が得られないならば矢に射られたかのように苦しむが、それらを掴まなければ、苦しみことはない。人は知るべきである。自らが掴もうとしている対象は苦であることを。それを知ったならば、人はもはや苦しむことはないであろう。

スッタニパータ 欲望766のご法話

人間は、好きなものを手に入れると単純に喜ぶが、それは同時に苦しみをも手にしているのである。すなわち人間的思考の運動である喜び⇔悲しみの運動である。この世は無常であるから、欲望の対象を手に入れたと同時にそれらを失うと言う苦しみへと変化を始めるのである。世の人々は、この運動を繰り返し、自らが作り出した激流(喜び⇔悲しみの運動)に溺れかかっている。それを知って聖者は、全ての喜びを捨て去って、悲しみを回避し、遂には安穏を観たのである。

スッタニパータ 質疑応答 修行の心構え

修行の心構えについてご教授ください。

 

修行者の心構えは、常に周りに対して、あるいは環境に対して、自分に関わりのある人々へ良い影響を与える事です。お釈迦様もおっしゃっていますが、聖者は敵対するものを作らない。これは、聖者は、どのような環境、どのような状況に陥っても、敵対しないと言う事です。常に良い影響のエネルギーを与える。それはそのまま自分に返ってきます。ですから、例えコロナウィルスであっても慈しみで返します。これは、見返りを求めて行うのではなく、真理を追究する心から自然に現れる慈悲そのものです。その光を全宇宙へ周りの人々へ与えてゆく、修行者同士はそれを与え合うそれがニルヴァーナであり修行の心構えと言えます。

 

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スッタニパータ 質疑応答 自らが知ること

伝え聞いた事を知ることと自らの修行によって知ることの違いをお教えください。

 

 

自ら知ること、それは、まさに信である。伝え聞いた事には常に、疑惑が付きまとう。それは、自らが見ていないからであり、確信が持てない。そこには人間的思考の運動である信⇔疑の運動が発生する。自らが知ることは、まさに疑いの余地がない信でありそれが本来の智慧であるともいえるのである。

 

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スッタニパータ 質疑応答 粗い修行からより精細に

修行の方法についての質問です。

人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて、中道を保った状態で、自分の心と身体、目の前の現象を観察すると言う事ですが、具体的には、どのように観察を進めていくのでしょうか?

 

 

修行の基本は、最初は粗くてもいいので、まずは、自分の反応の仕方によく気をつける事から始めます。これは、自分で気づいた段階で運動は止まりますので、日々反応に注視する事が大切です。次に中道を保てるようになった目で、観察を行います。そうすると、今までは、分けた目で見てきたものが、分けない目で見る事によって、気づきが生まれます。これが智慧です。次により集中力をもって、観察を行います。より詳細に観察することで、今度は、心も身体も現象もエネルギーとして観察するのです。そこには分別は存在しませんので、空間にエネルギーが立ち上がっては、消滅するありさまが観察できます。段階的には、表面上、電子的、そして光として感じ取ることが出来ます。これらを観察すると光があるいは電子が点滅しそれらに感情が反応しているさまを見る事ができます。ここまでくると、まさに見方の違いによってここまで見えるものが違うと言う事に気づくようになるのです。

 

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スッタニパータ 質疑応答 輪廻転生について

お釈迦様は、輪廻転生について、あるものは、死んだのちに、ここに生まれ、あるものは、ここに生まれると弟子に説いたと聞きますが、人間の輪廻転生についてご教授ください。

 

 

輪廻転生については、ブータンなどでも前世の記憶をもって生まれてくる人などもおられることから、人は輪廻転生すると言う事は、定着しつつあると思います。人は、生まれた時からお金持ちの人もいれば、貧乏な人もいます。また、身体が丈夫な人もいれば、身体が弱い人もいます。何故でしょうか?それは、前世があるからです。前世の結果によって今生の人生があります。もちろん修行を完成したならば生まれ変わってくることはないので、お釈迦様は、道半ばの修行者は、ここに生まれ、あるいはあそこに生まれると指導されました。前世と言っても、必ずしも、一つ前の前世の影響だけを受けるのではなく、自分が行った行為に対して条件が整った現象が目の前に現れます。ですからある人は、5前世前の行いの結果が現れたりします。生まれ変わりのパターンがあり、人によって周期的に同じような現象が現れたりもします。また、必ずしも未来にだけ転生するとも限らず、同じ時代を何度も転生するようなパターンもあります。そして、男性は男性、女性は女性にしか生まれ変わりません。日本人は、200年おきに生まれ変わるようです。皆さん方は、今生でこのスッタニパータのホームページに出会ったわけですから、輪廻転生を終わらせる大きなチャンスの生と言えます。この機会を是非活かされて、修行に精進なさって下さい。

 

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スッタニパータ 質疑応答 激流からの避難所

いつも拝見させていただいております。近年日本、世界では、川の氾濫や津波地震などが頻繁に起こっています。またこれからも南海トラフや関東の地震などが懸念されていますがどのような心構えが必要でしょうか?

 

 

お釈迦様の時代にもインドでは、川の氾濫、特に一面水浸しになるような洪水が度々起こっていました。そのたびに人々は、かろうじて水に浸からなかった洲へ避難したものです。スッタニパータに登場するカッパの質問にも、極めて恐ろしい激流に襲われたときの避難所をお説きくださいと言う質問があります。日本もこれから南海トラフに襲われるわけですから日本中が水浸しになりますし、関東の大地震に襲われるときには数多くの人々が苦境に立たされます。その時に何が人々を苦しめるのかと言うと、人々が掴んでいるもの環境、執着の対象が失われることによって苦しむのです。

 

お釈迦様は、極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)は、いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。

 

手放す事。つまり掴んでいるものがない人は、何が起こっても、苦しむことはないぞとお釈迦様はおっしゃられています。ひいては、この手放す事によって、若さを求めて生まれてくることもなく、この死と老衰がある世界。人間的思考の運動(生⇔死)の世界から脱出することが出来るぞとおっしゃられているのです。私たちが恐れているもの、それは、地震や津波ではありません。自らが掴んでいるものが失われる事に対しての恐怖です。その極めて恐ろしい自らが起こす激流に心が襲われないためにも、日々、人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて、何ものも掴まない事によって、自らの避難所を作ることができるのです。

 

 

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