正しい思惟、正思
煩悩を離れること、憤りの心をおこさないこと、傷つけないことなどを常に心がける。
人間的思考を止め、よく気をつけ、分けない心で正しく思惟する。(反対の意見も受け入れる心を持つ鏡のような心)
迷いの世間を離れ、悪意から離れ、他者を害したいと言う想いから離れる心を名づけて正思と言う。
正しく思惟するとは?人は人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によつて、自らの好みに基づいて判断をする。故に反対の意見を聞こうとしないのである。この人間的思考の思惟もやはり見ているものは好きな物ばかりであって、その事ばかりを想い巡らず。それでは全体を思惟することは出来ないのである。故に真理を見る事ができない。修行者は、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し全体をあるがままに思惟することによって、気づきを得、それが真理となる。これをもって正思と言うのである。