スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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07月

スッタニパータ 武器を執ること947の解説

947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

 

 

 

かれは智者であり、修行の達人である。かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、四智思考へと転換し、あるがままに理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは自らの見地で世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

スッタニパータ 武器を執ること946の解説

946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

修行者である聖者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あるがままに真実から離れることなく、激流を離れ、陸地である安らぎに立っている。かれは人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす一切の煩悩を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

スッタニパータ 武器を執ること945の解説

945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

 

 

わたくしは、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩へと牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、それらを得るために、はからい、それらを捕捉(ほそく)すると呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

 

すべての対象に対して、あるがままに観察する。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して、古いものを喜んではならない。それらを手放すのである。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。それらを掴まないようにせよ。滅びゆくものを悲しんではならない。無常を感じて観察するのだ。人間的思考の運動(快⇔不快)によって立ち上がる牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

スッタニパータ 武器を執ること943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、執着の対象を得るために立ち上がる虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。目から感じるところの人間的思考の運動(美⇔醜)にも気をつけ、美しいすがたに愛着を起こすな。またどのような時に心が運動するのかにもよく怠ることなく観察し、慢心を知りつくしてなくすようにせよ。執着の対象が得られなくとも、粗暴になることなく、ふるまえ。

スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

安らぎを心がける人は、常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、自らの心と、現象の観察に集中し、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。気をつける事に怠ることなく、怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。それらが出来ていたとしても、高慢な態度をとるな。

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、誠実であれ。何かを得ても傲慢(ごうまん)でなく、何かを得ようとして詐(いつわり)りなく、それらが手に入らなくても悪口を言わず、怒ることなく、人間的思考の運動(快⇔不快)によって立ち上がる邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)に基づいた束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。自らの思考の運動による諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を抑えることが出来ず、この煩悩の矢に貫かれた者は、その煩悩の対象を得るためにあらゆる方角をかけめぐる。その対象を手放し、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。すなわち中道を歩めるのである。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

 

生きとし生けるものは死ぬ間際ににおいては逆さずりに会うほどの苦しみに遭遇するのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたきまた生まれたいと言う煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。これによってまた人々は、この苦しみの世界に生まれてくるのである。