スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇912の解説 912 聖者はこの世で諸々の束縛(そくばく)を捨て去って、論争が起ったときにも、党派にくみすることがない。かれは不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、執することがない。ー他の人々はそれに執着しているのだが。-聖者はこの世で諸々の分... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇911の解説 911 バラモンは正しく知って、妄想分別(もうそうふんべつ)におもむかない。見解に流されず、知識にもなずまない。かれは凡俗の立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。ー他の人々はそれに執着しているのだが。-バラモンは平等性智(分別せず性質を... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇910の解説 910 (「われは知る」「われは見る」ということに)執着して論ずる人は、みずから構えた偏見を尊重しているので、かれを導くことは容易ではない。自分の依拠することがらのみ適正であると説き、そのことがらに(のみ)清浄(となる道)を認める論者は、そ... スッタニパータ解説
ブッダへの道 お釈迦さま最後のことばの意味 お釈迦さまがお亡くなりになる時に弟子のアーナンダが近くで泣いていました。どうか、私たちを置いて行かないで下さい。もっと指導して下さいと。そこで、お釈迦さまは、言いました。アーナンダよ私を拠り所にしてはならない。法を拠り所にせよ。と、それを見... ブッダへの道
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇909の解説 909 見る人は名称と形態とを見る。また見てはそれらを(常住または安楽であると)認め知るであろう。見たい人は、多かれ少なかれ、それらを(そのように)見たらよいだろう。真理に達した人々は、それ(を見ること)によって清浄になるとは説かないからで... スッタニパータ解説