スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  サーリープッタ 974の解説

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらに対する人間的思考の運動を制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する人間的思考の運動である快⇔不快を抑制せよ。これが中道であり聖者への道である。

スッタニパータ  サーリープッタ 973の解説

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

 

他人からことばで警告されたときにも、心が人間的思考の運動をすることなく、聞かねばならぬ。ともに修行する人々に対する人間的思考の運動をする心を断て。寂静な心持ちで、ことばを発せよ。その時に人間的思考の運動によって動揺したことばを発してはならない。両極端な反応による人々をそしることを思ってはならぬ。修行者は、どのようなときも中道を心がけ、自らの心による反応の仕方、言葉による反応の仕方、行動による反応の仕方すなわち身口意である3つの反応の仕方に気をつけるのである。心で反応したときは、口に現れ、口で反応したときには行動に現れる。いずれの場合もよく気づくことである。そうして全ての荒波を制したときに修行者よ、汝は彼の岸へと到達するであろう。

スッタニパータ  サーリープッタ 972の解説

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

 

眼を下に向けて小動物を踏まないように行動し、人間的思考の運動の欲によって、うろつき廻ることなく、人間的思考の運動を制する瞑想に専念して、中道を歩み大いにめざめておれ。人間的思考の運動を制し心を平静にして、中道による精神の安定をたもち、人間的思考の運動がもたらすところの思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。これが苦を滅する道である。

スッタニパータ  サーリープッタ 971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

 

次に托鉢時における修行の心得が述べられた。適当な時に食物と衣服とを得て、ここで最低限の量に満足するために、衣食の量を知れ。かれは衣食に関して、人間的思考の運動(快⇔不快)を制して欲することなく、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られても人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、あらあらしいことばを発するような反応の仕方をしてはならない。人間的思考の運動(快⇔不快)に流されて怒りままに人々をそしることを想ってはならぬ。このように師は述べられた。

スッタニパータ  サーリープッタ 970の解説

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

 

すなわち人間的思考の運動に反応をして快⇔不快の運動に流され快を貪り『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』不快を思い出しては、『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』快を求めて『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら四つの憂いに導く人間的思考の運動による思慮を抑制せよ。そうして中道を歩むのである。

 

スッタニパータ  サーリープッタ 969の解説

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

 

 

人間的思考の運動を完全に制止したところから生れる智慧をまず第一に重んじて、寂静を目刺し、それらの人間的思考の運動が及ぼす危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)え、中道を維持し、次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

 

スッタニパータ  サーリープッタ 968の解説

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

 

 

怒りと高慢とに支配されるな。それらの根である人間的思考の運動による反応の仕方を知り尽くし、その根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものによる運動、すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方にも熟知し両者にしっかりと、うち克(か)ち中道を保つべきである。

スッタニパータ  サーリープッタ 967の解説

967 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

 

 

 

人間的思考の運動によって立ち上がる欲望によって盗みを行ってはならぬ。人間的思考の運動によって立ち上がる欲望によって虚言を語ってはならぬ。人間的思考の運動である分別する反応の仕方を制して、弱いものでも強いものでもあらゆる生きものに分けることなく、慈(いつく)しみを以て接せよ。人間的思考の運動によって、心の乱れを感ずるときにには、「苦しみのもとである」であると想って、これを除き去れ。そうして聖者は彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ  サーリープッタ 966の解説

966 病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に努力をなすべきである。

 

 

 

病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも人間的思考の運動をすることなく、堪(た)え忍ぶべきである。かの家なき人は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に人間的思考の運動を止める努力をなすべきである。と師は言われた。

スッタニパータ  サーリープッタ 965の解説

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れて人間的思考の運動による反応の仕方をしてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた中道を追求して、他の諸々の危難にうち勝ち自らの人間的思考の運動を制せよ。