941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
聖者は常に寂静であれ。人間的思考の運動を制し、何かを得ても傲慢(ごうまん)でなく、快を得るために詐(いつわり)りをいうこともなく、不快を感じても悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと得たものを手放す慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
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941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
聖者は常に寂静であれ。人間的思考の運動を制し、何かを得ても傲慢(ごうまん)でなく、快を得るために詐(いつわり)りをいうこともなく、不快を感じても悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと得たものを手放す慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)すなわち名称と形態とにほだされてはならない。それらに対しての人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を制し、諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
この煩悩の矢に貫かれた者は、人間的思考の運動(浮⇔沈)によりあらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、浮いたり、また、沈むこともない。聖者はこの運動によく気をつけて世の中を遍歴するものである。
938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。
生きとし生けるものは終極において人間的思考の運動を止める事ができていなければ、違逆に会うのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき人間的思考の運動による煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。
937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
世界はどこも寂静ではない。どの方角でもすべて人間的思考の運動(快⇔不快)をしている。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに人間的思考の運動(生⇔死)を制止できずに死んだものや人間的思考の運動(禍⇔福)による苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。
936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
水の少ないところにいる魚のように、交互に運動し、あるときは、殺めあるときは殺められ、逃げ場を失い、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争して運動(殺め⇔殺められ)しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)が生じ恐怖が生じたのである。すなわち、打とうとしたから、打たれる要因を作くったのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い、その運動から離れたその衝撃を宣(の)べよう。
934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
かれは、みずからの人間的思考の運動による反応の仕方に勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから中道を極めて証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに自らの人間的思考の運動を止める事に従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。
修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)すなわち人間的思考の運動が消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて自らの人間的思考の運動による反応の仕方に注視することを怠ってはならない。
932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。
諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、人間的思考の運動である快⇔不快を制して、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は両極端の敵対的な返答をしないからである。