スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

08月

スッタニパータ  迅速931の解説

931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。

 

 

 

両極端を得るために虚言をなすことなかれ。両極端を得るために知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、人間的思考の運動(優⇔劣)を制し、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。

スッタニパータ  迅速930の解説

930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

 

また修行者は人間的思考の運動(高ぶる⇔落ち込む)を制し、高慢であってはならない。また人間的思考の運動(損⇔得)をも制し、自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。人間的思考の運動(高ぶる⇔落ち込む)を制し、傲慢(ごうまん)であってはならない。周りの人々が運動しないようにも気をつけ不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

スッタニパータ  迅速929の解説

929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。

 

 

 

修行者は、売買に従事しているときも人間的思考の運動(損⇔得【利益】)を立ち上げてはならない。【損】をしたとしても、決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また両極端に分けた感情で、村の人々と親しく交わってはならない。【利益】を求めて人々に話しかけてはならない。このように修行者は、何事にあたるときも、自らの人間的思考の運動によく気をつけ世の中を遍歴せよ。

 

スッタニパータ  迅速928の解説

928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

 

 

 

修行者は、非難されても、反応の仕方によく気をつけよ。人間的思考の運動(快⇔不快)によって、くよくよしてはならない。称讃されても、人間的思考の運動(快⇔不快)によって、高ぶってはならない。人間的思考の運動がもたらす快を得るための貪欲(とんよく)と快を失わないための慳(ものおし)みと不快による怒りと悪口とを除き去れ。

スッタニパータ  迅速927の解説

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。

 

 

わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いによっても心を動かしてはならない。すなわち、占いや呪法によって人間的思考の運動(安心⇔不安)を動かすことである。世の人々は良い結果が出ると「安心」し悪い結果が出れば「不安」になるものである。この「安心」⇔「不安」がすなわち禍福を作るものだと知れ。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行って心を動かしてもならない。これらによっても「安心」⇔「不安」の人間的思考の運動が起こり、修行者はそれらをも制して中道を歩め。

スッタニパータ  迅速926の解説

926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。

 

 

 

眠ったように人間的思考の運動を放置してはならぬ。人間的思考の運動を制する事に熱心に努め、目ざめているべきである。人間的思考の運動を制する修行をものぐさ面倒くさがることをやめ、人間的思考の運動による偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾に耽ることを捨てよ。

 

スッタニパータ  迅速925の解説

925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。

 

 

こころを寂静にせよ。両極端にうろついてはならない。人間的思考の運動によって後で後悔するようなことをやめよ。運動を制する事を怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は、人間的思考の運動を制した閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)にこころが住まうべきである。

 

スッタニパータ  迅速924の解説

924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

 

 

食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵して「安心」してはならない。またそれらが得られないからとて「不安」になってはならない。これらの思考の運動も人間的思考の運動(安心⇔不安)の運動だからである。これらの思考の運動によって人間の禍福が生れかれらに激流となって襲いかかる。それ故にこの世のどこを見ても苦しみに満ちているのである。

スッタニパータ  迅速923の解説

923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

 

 

苦痛を感じることがあっても、修行者は決して人間的思考の運動(快⇔不快)をしてはならない。人間的思考の運動(生⇔死)によって生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、人間的思考の運動(不安⇔安心)の運動により慄(ふる)えてはならない。このように修行者は常に寂静であるべきである。

スッタニパータ  迅速922の解説

921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」

 

 

922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

 

 

〔師いわく〕、「眼で視ることを両極端に分け人間的思考の運動によって貪(むさぼ)ってはならない。耳から入る情報においても、両極端を制し卑俗な話から耳を遠ざけよ。舌から入る情報も両極端の反応の仕方を制し、味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、両極端に分ける事なくわがものであるとみなして固執してはならない。このように目、耳、舌から入る情報に対しての人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を制して日々気をつけるのである。