スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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ブッダへの道

理法とは?

お釈迦さまがお亡くなり(遷化)になるときにいわれました。

法を寄りどころとし、法を信じて歩め

例えば、師などを寄りどころとした場合、この世は無常ですから

いつまでもいるとは限らないわけです

では、法とは何でしょうか?

法=理法=ダンマと呼ばれるもの

それは、自らの内にあるものです

そう、私たち自らが法なのです

私たちが法を表し、自らの内に法がある

どのようにしたら法がわかるのでしょうか?

それは、自らを見ることです。

自らを観察する。

そして自らを正して法を顕現する。

そのためには、わき道にそれないようにする

そう、両極端の運動を止めることによって

しっかりと自らを見ることができるようになります。

私たちは、お風呂に入らないと、臭くなり、汚れていきます。

それと同じように、私たちの内面も磨かないと汚れていくのです。

そうして、よく気を付けて歩かないと障害物にぶつかって怪我をすることもあります。

同じように、心もよく気を付けて中道を歩ませないと怪我をするのです。

私たちもこの世の中に出て、大人になるにしたがっていろいろなことを学ぶように

よく気を付けるうちに理法によって様々なことを学ぶでしょう。

様々なことがわかることによって、道が照らされ

遂には、周りをも照らす存在となるのです。

彼の岸へと向かう修行

我々修行者は、このスッタニパータと出会って、仏縁をいただき、彼の岸を目指します。

その修行の道はもう見えているのです。

我々は、日々、戒を保って、定に入り、慧が生まれそれを積み重ねていくわけですが

戒とは何か?人間的思考の運動を止めることです

止めるにはどうすればいいのか?

自らの心をしっかり観察すること

これが戒となります。

次に定とは何か?

集中することです。

集中できなければ、自分の心を見ることはできません。

常に集中する。そうして自分の心の動き、目の前に現れた現象をよく観察する。

そうすることによって気づきが生まれそれが慧となります。

つまり、この戒、定、慧によって、彼の岸への道が照らされます。

そうして、我々修行者は、その道を歩むだけなのです。

日々の集中、戒を保って、そこから生まれるところの智慧によって遂には、彼の岸へと到達できるでしょう。

そうして自らの目で見て知る。知見が信となるのです。

スッタニパータ 現代お経から紐解くブッダへの道①

お釈迦様が説かれたスッタニパータは、苦からの脱出である。現代お経にもその一部を垣間見ることができる。寂静にして、すなわち、人間的思考の運動を止めて中道を保てば、一切の大難は来ないと説かれている。人間的思考の運動が発生し両極端の反応の仕方をすると、そこには激流が発生し、次々と同様の現象が襲いかかる。逆に自らの運動によく気をつけて、中道を保つことが出来たならば、その波は穏やかとなり、安穏は保たれるのである。そのように修行者は、自らの反応の仕方に常に中止し、その運動を止めて、日々過ごし、彼の岸へ到達せよ。