スッタニパータ 786 (第9の視点)

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、思考の運動を止めているので、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃(はら)い除いた人は、それらを掴もうとするいつわりと驕慢(きょうまん)と捨て去っているが、どうして輪廻に赴(おもむ)くであろうか?かれはもはやたより近づくものがないのである。