スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ解説

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

人間的思考の運動が創り出す平和は、戦争⇔平和の運動である。自らの偏った正義(平和)の名の下に武器を取るのである。それは、運動をするので、あるときは、一見その運動が創り出す平和のように見えるが、運動をするので、必ず逆のものすなわち戦争になるのである。殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。これも打ったり、打たれたりの運動であるので、自らも打たれる可能性に恐怖するのだ。それを知って修行者は、争闘に近づいてはならない。一時的に勝とうとも運動をすることを知れ。賢明な修行者はその人間的思考の運動を離れたところに座し安穏を観たのである。

スッタニパータ 迅速934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

かれは、自らの人間的思考の運動に打ち勝ち、その反応を制したために、他に打ち勝たれることはない。他人から伝え聞いたのではなく、自らの人間的思考の運動を制したことで、かれは理法を観た。それ故にこの両極端の運動を制するブッダの教えに従って、常に自らの人間的思考による運動に気をつけ日々精進せよ。このようにブッダは言われた。

 

 

 

スッタニパータ 迅速933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。

 

 

修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに人間的思考の運動が起きぬように気をつけて学べ。諸々の人間的思考の運動による煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて自らの人間的思考の運動に気をつけることを怠ってはならない。

スッタニパータ 迅速932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。聖者は、人々のことばを、快⇔不快と言った反応の仕方をしない。そのような、人間的思考の運動による反応の仕方を乗り越えたもの、かれこそは、聖者と呼ばれる人なのである。

スッタニパータ 迅速931の解説

931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。

 

 

全てにおいて人間的思考の運動を制止するのだ。この運動が起こり快、不快が生じたときに人は、それを欲し、手に入れるために虚言を言う。人間的思考の運動を制止して虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。人は、勝れていると思えば「安心」する。これは、「安心」⇔「不安」の人間的思考の運動であると知れ。全てのこの二元の運動を制したとき、修行者は、彼の岸へ到達するのである。

 

スッタニパータ 迅速930の解説

930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

 

 

また修行者は高慢であってはならない。高慢が出るとき、そこには人間的思考の運動がある。「慢心」⇔「失意」である。また自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。これも人間的思考の運動による。快を得るためにの行動である。この世は無常であり失われる状態であることを知って傲慢(ごうまん)であってはならない。人間的思考の運動である「快」⇔「不快」に反応して、不和をもたらす言辞を語ってはならない。修行者は、全ての人間的思考の運動を制して、煩悩の荒波を渡り終わるのだ。

スッタニパータ 迅速929の解説

929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。

 

 

 

修行者は、売買に従事してはならない。すなわち売れれば喜び、売れなければ悲しむ。この二元の運動を制止せよ。人間的思考の運動を制止して上手くいかなくとも決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。村の人々と親しく交わってはならない。親しくすると言うことは、同時に敵対するものを作るのである。これもまた、親しい⇔敵対の運動である。利益を求めて人々に話しかけてはならない。人が何かを求めるとき、そこには人間的思考の運動がある、すなわち得られれば喜び、得られなければ悲しむ。「喜び」⇔「悲しみ」の運動である。この全ての苦のものである二元の運動を制止して修行者よ彼の岸へ到達するのだ。

スッタニパータ 迅速928の解説

928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

 

 

修行者は、非難されても、意気消沈してはならない。称讃されても、高ぶってはならない。この「高ぶり」⇔「消沈」と言う思考の運動は人間的思考である。この運動が起こると、称賛を求めて欲が起こり、称賛を継続したいがためにものおしみが起こる。非難されることにより、悪口が起こる。これは、全て人間的思考の運動によるものだと知れ。それを知って修行者は、貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去り、遂には、彼の岸へ到達するのである。

スッタニパータ 迅速927の解説

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。

 

 

わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いによって心が運動してはならない。人間は、吉と聞けば、「安心」し凶と聞けば「不安」になるのである。そのように「安心」⇔「不安」の運動をする。この世は、無常であるので、吉と聞いてその状態に執着をしても、それは運動をし必ず逆の凶が目の前に現れるのである。逆もしかりである。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を聞いても心が運動してはならぬ。全ての人間的思考の運動を制してかの聖者は、煩悩の荒波を渡り終えたのである。

 

 

スッタニパータ 迅速926の解説

926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。

 

 

 

修行者は、必要以上に眠らぬように気をつけ、自らの心に集中し熱心に、人間的思考の運動を制することに努め、人間的思考の運動を止めることをめんどくさがることなく、止めていないのに止めているようにいつわるることなく、人間的思考の運動を増長する談笑をせず、遊技をひかえ、快を求めて淫欲に走ることなく、装飾による心の運動を制せよ。人間的思考の運動による快を得れば、それは運動をするので、必ず逆のものが目の前に現れる。すなわちそれは苦である。それを知って聖者は、全ての人間的思考の運動を制して彼の岸へ至るのである。