スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  死ぬよりも前に860の解説

860 聖者は貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものであるとも』とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。かれは分別(ふんべつ)を受けることのないものであって、妄想(もうそう)分別におもむかない。

 

 

聖者は、人間的思考の運動を制止し、貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものであるとも』とも、『自分は劣ったものである』とも、心は動揺(運動)(喜⇔悲)せず、論ずることがない。人間的思考の運動を完全に止めたかれは分別(ふんべつ)による荒波を受けることのないものであって、妄想(もうそう)分別におもむかない。かれは、安穏に満ちているのである。

 

スッタニパータ  死ぬよりも前に859の解説

859 世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して(貪りなどの過(とが))があるというであろうが、かれはその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。

 

 

 

俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して貪りなどの過(とが)があるというであろうが、かれはその非難を特に気にかけることはない。かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を熟知し、制している。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。

スッタニパータ  死ぬよりも前に858の解説

858 かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

 

 

かれには、子も、家畜も、田畑も、地所に対しての人間的思考の運動(好き⇔嫌い)も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が認められない。全ての人間的思考の運動に対しての反応の仕方を制して、ついには、安穏を観たのである。

スッタニパータ  死ぬよりも前に857の解説

857 諸々の欲望を顧慮(こりょ)することのない人、ーかれこそ〈平安なる者〉である、とわたくしは説く。かれには縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに執着を渡り了(お)えた。

 

 

 

諸々の人間的思考の運動を制し、人間的思考の運動からなる欲望を顧慮(こりょ)(欲)することのない人、ーかれこそ平安なる者(聖者)である、とわたくしは説く。かれには縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに諸々の人間的思考の運動による反応の仕方を制し、執着を渡り了(お)えた。

スッタニパータ  死ぬよりも前に856の解説

856 依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。

 

 

両極端に依りかかることのない人は、理法すなわち人間的思考の運動を止める事を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。その想いによる運動をも制して寂静に帰しているのである。

 

スッタニパータ  死ぬよりも前に855の解説

855 平静であって、常によく気をつけていて、世間において(他人と自分と)等しいとは思わない。また自分が勝(すぐ)れているとも思わないし、また劣(おと)っているとも思わない。かれには煩悩(ぼんのう)の燃え盛(さか)ることがない。

 

 

平静(中道)であって、常に自らの人間的思考の運動によく気をつけていて、世間において両極端の思考が立ち上がらないように制し、他人と自分とを比較し等しいとは思わない。また自分が勝(すぐ)れているとも思わないし、また劣(おと)っているとも思わない。かれの人間的思考の運動は、制され煩悩(ぼんのう)の燃え盛(さか)ることがない。人間的思考の運動(喜⇔悲)が立ち上がると、他人と自分を常に比較しては、勝っていると喜び、劣っていると悲しみ、等しいと思うと安堵する。このように常に人間的思考の運動により世の人々は一喜一憂し執着するのであるから、修行者よ、これらを制して、中道を歩むのである。

 

 

スッタニパータ  死ぬよりも前に854の解説

854 利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆(さから)うことがなく、美味に耽溺(たんでき)することもない。

 

 

 

次に修行の心得が語られる。人間的思考の運動(損⇔得)により、利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、人間的思考の運動(怒⇔喜)を制して、怒ることがない。人間的思考の運動(快⇔不快)による妄執のために他人に逆(さから)う(争う)ことがなく、人間的思考の運動(旨⇔不味)を制し美味に耽溺(たんでき)することもない。全ての反応の仕方に中止して、修行に励み中道を歩め。

スッタニパータ  死ぬよりも前に853の解説

853 快(こころよ)いものに耽溺(たんでき)せず、また高慢にならず、柔和(にゅうわ)で、弁舌さわやかに、信ずることなく、なにかを嫌うこともない。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、快(こころよ)いものに耽溺(たんでき)せず、また高慢⇔消沈の運動を制し高慢にならず、常に、中道を歩み、柔和(にゅうわ)で、弁舌さわやかに、両極端に信ずることなく、なにかを排除しようと嫌うこともない。このように聖者は歩むのである。

スッタニパータ  死ぬよりも前に852の解説

852 (遁欲(とんよく)などから)遠ざかり、偽(いつわ)ることなく、貪(むさぼ)り求めることなく、慳(ものおし)みせず、傲慢(ごうまん)にならず、嫌(きら)われず、両舌(かげぐち)を事としない。

 

 

 

人間的思考の運動からなる遁欲(とんよく)などから遠ざかり、両極端による欲望を回避し、それを得るためにいつわることなく、貪(むさぼ)り求めることなく、得たものを慳(ものおし)みせず、得ても傲慢(ごうまん)にならず、嫌(きら)われず、得られなくとも両舌(かげぐち)を事としない。このような、人間的思考の運動による両極端の想いを制して中道に帰するのである。

スッタニパータ  死ぬよりも前に851の解説

851 未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂(うれ)えることもない。[現在]感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われることがない。

 

 

 

人間的思考の運動による反応の仕方で、未来を願い求めることなく、過去を思い出しては、運動し、憂(うれ)えたりすることもない。現在も感官で触れる諸々の対象について分別することなく、遠ざかり離れることを観じ、諸々の両極端による偏った見方に誘われることがない。そのようにして聖者は、中道へと近づくのである。