949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。
過去にあったもの(煩悩)「自らが分別したもの」を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、汝に何ものも有らぬようにせよ。中間=今においても自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。
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949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。
過去にあったもの(煩悩)「自らが分別したもの」を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、汝に何ものも有らぬようにせよ。中間=今においても自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。
948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。
人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい両極端への執着を超えた人は、運動に流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。
947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。
かれは智者であり、修行の達人である。かれは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、あるがままに見、理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。
946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
修行者である聖者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、あるがままに見る真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切の両極端を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。
わたくしは、人間的思考の運動(快⇔不快)を牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、人間的思考の運動(快⇔不快)すなわち快を掴むあるいは不快を排除するような両極端を掴もうとする超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。
944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。
人間的思考の運動(新⇔古)である古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。思考の運動がもたらす牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。
943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。
人間的思考の運動(快⇔不快)である両極端を掴もうと欲する虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また自らの反応の仕方である慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。
942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、中道がもたらす安らぎを心がける人は、運動がもたらす眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。思考の運動を止める修行に怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。上手く修行ができても高慢な態度をとるな。
941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
聖者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に常に気をつけ、誠実=中道であれ。両極端に反応することなく、傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)=人間的思考の運動(損⇔得)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)め=自らの人間的思考の運動(快⇔不快)の反応の仕方を見極めつくして、自己の安らぎを学べ。