スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ解説

スッタニパータ 学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

 

アジタさんがいった、「わが友よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を気をつけること=止めることによって得られた智慧によって名称と形態は、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とへの執着が残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

スッタニパータ 学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけることである。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは人間的思考の運動(快⇔不快)を止めた観察から生まれる智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

スッタニパータ 学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

 

師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす無明(むみょう)によって覆われている。世間は両極端を掴もうとする貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。両極端への欲心が世間の汚れである。運動による苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

スッタニパータ サーリープッタ975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

修行僧は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて、心も両極端の運動からすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に中道による観察の眼で理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

スッタニパータ サーリープッタ974の解説

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

またさらに、世間には人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がる五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲である「美⇔醜」「いい匂い⇔臭い」「美味しい⇔不味い」「快⇔不快」を抑制せよ。

スッタニパータ サーリープッタ973の解説

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

他人からことばで警告されたときにも自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し中道を保て。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。中道を保てないと真理から遠ざかるからである。

スッタニパータ サーリープッタ972の解説

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

眼を下に向けて、人間的思考の運動(快⇔不快)がうろつき廻ることなく、瞑想に専念して、人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、中道を保ち大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。このようにして観察を続ける事により悟りである真理を観るのである。

 

 

スッタニパータ サーリープッタ971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げるような恣(ほしい)ままならず、思考の運動を制し、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

スッタニパータ サーリープッタ970の解説

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)に繋がる想いである『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂い=人間的思考の運動(快⇔不快)に導く思慮を抑制せよ。

スッタニパータ サーリープッタ969の解説

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、中道による観察から生まれるところの智慧をまず第一に重んじて、安穏を保ち、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。