スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com


Warning: Undefined array key 0 in /home/r6286533/public_html/suttanipata.com/wp-content/themes/hpb20170224161711/breadcrumb.php on line 127
スッタニパータ解説

スッタニパータ  迅速 926の解説

926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。

 

 

 

多く眠っているような状態の心を律し人間的思考の運動による反応の仕方を制するため熱心に努め、目ざめているべきである。人間的思考の運動を見張ることに面倒くさがることとやっているような偽(いつわり)りと集中できないような談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。すなわち人間的思考の運動がもたらす喜びを捨てるのである。それを喜捨と呼ぶ。

スッタニパータ  迅速 925の解説

925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。

 

 

 

人間的思考の運動を制して、こころを安定させよ。快⇔不快にうろついてはならない。快を得るためもしくは不快を排除するために後で後悔するようなことをやめよ。人間的思考の運動を制する事を怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は寂静な座所、すなわち中道に住まうべきである。

 

スッタニパータ  迅速 924の解説

924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

 

 

 

食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、「安心」してはならない。またそれらが得られないからとて「心配」してはならない。この反応の仕方も人間的思考の運動である「安心」⇔「心配」である。修行者は、日常生活において発生する様々な人間的思考の運動による反応の仕方を制して世の中を遍歴せよ。

スッタニパータ  迅速 923の解説

923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

 

 

 

苦痛を感じることがあっても、修行者は決して人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方によって悲観してはならない。また、人間的思考の運動(生⇔死)によって生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、人間的思考の運動による反応をせず、慄(ふる)えてはならない。修行者よどのような状況に置かれたとしても、自らの人間的思考の運動による反応の仕方を制して寂静であれ。師はこのように言われた。

 

 

 

スッタニパータ  迅速 922の解説

921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」

 

 

922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

 

 

眼で視ること、目から入る情報を人間的思考の運動によって、快、不快に分け、貪(むさぼ)ってはならない。耳から入る情報に対しても人間的思考の運動により称賛を欲さず、耳を遠ざけよ。舌から入る情報も人間的思考の運動(美味しい⇔不味い)を制して味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、2つに分けることなくふるまい、わがものであるとみなして固執してはならない。

スッタニパータ  迅速 920の解説

920 海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。」

 

 

海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、人間的思考の運動による反応を静止して不動であれ。修行者は何ものについても中道を保ち欲念をもり上らせてはならない。」

スッタニパータ  迅速 919の解説

919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。

 

 

修行者は心のうち分ける思考を制して平安となれ。外、すなわち頼るものに静穏を求めてはならない。人間的思考の運動を制して内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない快、不快を制して取らないからである。そのような状態で、どうして捨てられるものがあろうか。

スッタニパータ  迅速 918の解説

918 これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。

 

 

 

慢心によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。比較対象は人間的思考の運動である。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。人は、聞く事によって、耳の快すなわち「称賛を得たい」人間的思考の運動が立ち上がり、その称賛を聞いては、慢心に陥り激流を作るのである。修行者は、その道理を知って、心して歩め。

スッタニパータ  迅速 917の解説

917 内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

 

 

 

内的(感覚的感受)にでも外的(心理的感受)にでも、いかなる人間的思考の運動をも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。慢心は、他人との比較すなわち「勝っている⇔劣っている」と言う人間的思考の運動から起こるのであって、それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

 

スッタニパータ  迅速 916の解説

915 〔問うていわく、ー〕「太陽の裔(すえ)である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れること平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執することなく、安らいに入るのですか?」

 

 

916 師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて。有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。内に在するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

 

 

修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執着することなく、心が安らいに入るのですか?

 

 

師(ブッダ)は答えた、「われは、考えて。有る⇔無いという迷わせる不当な思惟の根本である人間的思考の運動(有⇔無)をすべて制止せよ。人は、目の前に現れるものを人間的思考の運動(快⇔不快)によって執着をし、対象物が手元に有⇔無と言う思考の運動をする。内に在するいかなる妄執をもよく安らぎへ導くために、常に心して学べ。すなわち世の中に存在する全ての対象物に対しての人間的思考の運動を止める事で安らぎに入るのである。