スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ解説

スッタニパータ  武器を執ること 936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

 

水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。これは、人間的思考の運動(戦争⇔平和)である。人々は、繰り返される人間的思考による平和を目指して戦争を繰り返す。これは、必ず運動をするので、平和らしきものであり、真の平和ではない。時間とともに戦争へと運動するのである。それは、まるで水の少ないところにいる魚のようである。この両極端の運動を止めたところに真の平和があることを知るべきである。

 

スッタニパータ  武器を執ること 935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。争闘する人々もまた人間的思考の運動をしているのである。それは、打ち⇔打たれるである。それは運動をするので、あるときは打ちあるときは打たれる。それは、たとえ打ったとしても、必ず打たれると言う逆の現象がついてまわるのである。人間的思考の運動による欲望には必ず逆の恐怖がついてまわることを知って、修行者よ、人間的思考の運動を制して中道を歩め。

 

スッタニパータ  迅速 934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

 

かれは、みずからの人間的思考の運動による反応の仕方(快⇔不快)に勝ち中道を保ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずからの運動を制し中道を保つことによって、理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに自らの反応の仕方に気をつけ、中道に帰して学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

スッタニパータ  迅速 933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない

 

 

 

修行者はこの道理を知って、人間的思考の運動にもとづいた口の業を作らずよく弁(わきま)えて、つねに人間的思考の運動による反応の仕方に気をつけて学べ。人間的思考の運動を制止し、諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。

スッタニパータ  迅速 932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、人間的思考の運動による反応の仕方(快⇔不快)をしないように注意し、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は、人間的思考の運動による反応の仕方をしないからである。修行者は、目の前に現れる現象に対して、人間的思考の運動による反応の仕方を制して、怒り、貪り、迷いで返すことなく、荒波を作ることなく、中道を歩むものである。

 

スッタニパータ  迅速 931の解説

931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。

 

 

 

 

人間は、人間的思考の運動(快⇔不快)によって、欲するものを得るために、あるいは、嫌うものを排除するために虚言をなすことなかれ。その欲望にかられて知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、人間的思考の運動(優⇔劣)の想いによって、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。全ての人間的思考の運動による荒波を制して、修行者よ、今年こそは、彼の岸へ到達せよ。

スッタニパータ  迅速 930の解説

930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

 

 

また修行者は、人間的思考の運動(高慢⇔失望)にも気をつけ高慢であってはならない。また様々な快への貪りすなわち自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。利益を受けたとしても、傲慢(ごうまん)と言う反応の仕方をしてはならない。不快と言う反応をし、不和をもたらす言辞を語ってはならない。人間的思考の運動による反応の仕方に日々気をつけることそれが修行である。

スッタニパータ  迅速 929の解説

929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。

 

 

 

 

修行者は、売買に従事してはならない。売れれば喜び、売れなければ怒り、買えれば喜び、買えなければ怒る。そうして心が動揺する。これは人間的思考の運動(喜⇔怒)である。常に人間的思考の運動を制して、決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。これも、親⇔敵の運動である。利益を求めて人々に話しかけてはならない。これもまた、利益⇔不利益の運動である。修行者は、この世に存在する様々な人間的思考の運動による誘惑を渡り終えて遂には彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ  迅速 928の解説

928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

 

 

 

修行者は、非難されても、人間的思考の運動による反応の仕方をして落ちこんではならない。称讃されても、人間的思考の運動による反応の仕方でたかぶってはならない。人間的思考の運動がもたらす貪りと無常を知って慳(ものおし)みを無くし、運動による喜びが得られない怒りと悪口とを除き去れ。修行者は、日々自らの人間的思考の運動による反応の仕方に熟知し世の中にはびこる激流を渡り遂には彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ  迅速 927の解説

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。

 

 

 

わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとによって心が運動してはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術によっても、こころを動かしてはならない。この世に存在するあらゆる出来事に対しての、人間的思考の運動(喜⇔悲)をも制し、自らの心、反応の仕方を制したもの彼こそは聖者と呼ばれるのである。