903 或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか?ーかれらはすべて自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。比較対照する時点で人間的思考の運動(最高⇔下劣)から逸脱していないのである。
人は何故教えを最高だとか下劣だとか分別するのであろうか?それは人間的思考の運動(最高⇔下劣)が立ち上がっているからである。その状態では真理を観る事はできない。つまり中道を踏みはずしているからである。故に智慧ある修行者は自らの思考の運動に日々よく気をつけ安穏を観たのである。
皆さん新春のお喜びを申し上げます。
今年も日々思考の運動によく気をつけて過ごされるとそこから気づきが生まれそれが智慧となります。目の前には様々な現象が現れます。それは思考の運動のように両極端に現れます。それらを真理とみて、そのようなものだとみて、それらにとらわれずに観察する事によって安穏を観る事が出来るでしょう。
今年も皆様にとって良い年となりますように精進されてください。
合掌