スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 学生ウダヤの質問1111の解説

1110 「どのようによく気をつけて行なっている人の識別作用が、止滅(しめつ)するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

 

 

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」

 

 

 

内面的すなわち心で感受する感覚を人間的思考の運動(快⇔不快)に分けないにも外面的すなわち蝕により感受する感覚を人間的思考の運動(快⇔不快)に分けることを制し、感覚的感受を喜ばない人あるいは排除しない人、このようによく気をつけて行なっている人の両極端に分ける識別作用が止滅するのである。そのためには自らの反応の仕方と同時に心をもよく観察しよく制することが肝要である。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1109の解説

1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

 

 

 

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

 

 

 

世人は歓喜を得るために束縛されている。歓喜を得ようと思う思わくが世人をあれこれ行動させるものである。人間的思考の運動(歓喜⇔誹謗)を制して妄執を断ずることによって心の運動が止まり安らぎがあると言われる。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1107の解説

1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制した平静な心がまえと「こだわり」を制した念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1106の解説

1105 ウダヤさんがたずねた、「瞑想に入って坐(ざ)し、塵垢(ちりあか)を離れ、為(な)すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸(ひがん)に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明(むみょう)を破ること、正しい理解による解脱(げだつ)、を説いてください。」

 

 

1106 師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。愛欲には、嫉妬、貪りなど様々な煩悩が付随し、憂いは、輪廻を招き、浮き沈みは人間的思考の運動である。悔恨もまた輪廻へと繋がる。これらの荒波を知ってよくこの心の動きに注意すべきである。この無常の世でいかなるものあるいはいかなる形へ執着をしてもそれは叶わず苦へと牽引される。

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1074の解説

1073 「あまねく見る方(かた)よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼(しょうりょう)となるのでしょうか?またそのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」

 

 

1074 師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」

 

 

師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって火としては数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、この無常の世で、転生し、存在する者としては数えられないのである。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1072の解説

1071 ウパシーヴァさんがいった、「あらゆる欲望に対する貪(むさぼり)りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するでありましょうか?」

 

 

1072 師は答えた、「ウパシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無常を観じ、無所有にもとづいて、その他の苦を伴っている執着したものを捨て、最上のこの無常の世に対する想いからの解脱において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1070の解説

1069 ウパシーヴァさんがたずねた。「シャカ族の方よ。わたくしは。独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の激流を渡ることはできません。わたくしがたよってこの激流をわたり得る〈よりどころ〉をお説きください。あまねく見る方よ。」

 

 

1070 師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

 

 

師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によく気をつけて、両極端を制し、無所有をめざしつつ、この無常の世を感じて状態は常に変化するすなわち『何も存在しない』と思うことによって、貪瞋痴が構成する煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の貪りを離れ、欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、痴を滅し、想い描いた結果が違っても、瞋を立ち上げることなく、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

スッタニパータ 学生ドータカの質問1068の解説

1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」

 

 

1068 師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

 

 

師は答えた、「ドータカよ。目の前に現れる現象、すなわち上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における人間転的思考の運動(好き⇔嫌い)がもたらす執著の対象であると知って、この無常で変化し、移りかわる苦しみの生存への妄執=生まれ変わりたいという欲望をいだいてはならない」と。

 

スッタニパータ 学生ドータカの質問1066の解説

1065 バラモンさま。慈悲(じひ)を垂(た)れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです。わたくしは、虚空(こくう)のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」

 

 

1066 師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

 

 

師は言われた、「ドータカよ。私が伝え聞いたことではない、私が、まのあたり体得したこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。そのを修行方法を知って自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方によく気をつけて自らに起こること、あるいは自らの心の反応について観察を行い、自ら理法を知り尽くして世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

スッタニパータ 学生ドータカの質問1064の解説

1063 「わたくしは、神々と人間との世界において何ものも所有せずにふるまうバラモンを見ます。あまねく見る方(かた)よ。わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方(かた)よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」

 

 

1064 「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」

 

 

「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる修行方法に対しての疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたがこの修行方法に従い人間的思考の運動を止めて鏡のように自らの心と目の前に起こる現象を観察し、気づきによる智慧によって最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」