スッタニパータ解説 スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ816の解説 816 かつては独りで暮らしていたのに、のちに淫欲の交わりに耽る人は、車が道からはずれたようなものである。世の人々はかれを『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。かつては自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、独りで暮らしていたのに、のち... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ815の解説 814 ティッサ・メッテイヤさんが言った、ー「きみよ。淫欲の交わりに耽(ふけ)る者の破滅を説いてください。あなたの教えを聞いて、われらも独り離れて住むことを学びましょう。」815 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。淫欲の交わりに耽る者は... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い813の解説 813 邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執着して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貪らず、また嫌うこともない。自らの人間的思考の運動を制して、邪悪を掃い除いた人は、見たり... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い812の解説 812 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い811の解説 811 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬(たと)えば(蓮(はす)の)葉の上の水が汚されないようなものである。聖者はなにものにも人間的思考の運動を制する... スッタニパータ解説