お釈迦さまがお亡くなりになる時に弟子のアーナンダが近くで泣いていました。
どうか、私たちを置いて行かないで下さい。
もっと指導して下さいと。
そこで、お釈迦さまは、言いました。
アーナンダよ私を拠り所にしてはならない。
法を拠り所にせよ。
と、それを見て私は、確かにお釈迦さまと言えど寿命が尽きたらお亡くなりになるので、拠り所にしてはならないと言われるのは、わかるが、法とは?
実は、法と言うのは、この世界の事だったのです。
まさに我々の目の前に繰り広げられているこの世界。
この世界に存在するひとつひとつが、法を表しています。
例えば、私たちがお風呂に入ったとします。ちょうどいい湯加減で入った時は、気持ちが良いです。しかし、時間と共に体温は、上がって行き、耐えられなくなるでしょう。
気持ちが良い状態は、どれくらいでしたでしょうか?ほんの少しです。
それから後は、苦痛ですよね?
これを見ても、このたった一つの動作がこの世を表している事がわかるでしょう?
これが法です。
つまり、この世で目の前に展開される現象は、全て法を表しているのです。
そこからの気づき、これが智慧です。
お釈迦さまは、その法、見て知ることによる気づきを拠り所とせよとおっしゃったのですね。
まさに目の当たりに展開される法を拠り所とし、それが教えである。
その法に気づくには、しっかりと、目の前に起きる事をよく観察をする。
同時に、自らの心、身体も観察をする。そこに法すなわち教えがあるのだと言う事をおっしゃったのです。