スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

スッタニパータ 迅速922の解説

921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」

 

 

 

922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、無常を感じて、わがものであるとみなすことなく固執してはならない。それらの自らの感覚器官より入る情報を両極端に分けることなく戒を保ち、定により集中してありのままを観察し、目を開いて、法を視て智慧を得るのである。

 

スッタニパータ 迅速920の解説

920 海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。」

 

 

海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を静止して不動であれ。修行者は何ものについても両極端に分けることなく、ありのままをとらえ、欲念をもり上らせてはならない。

スッタニパータ 迅速919の解説

919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。

 

 

 

修行者は自らの心をよく観察し、両極端の運動を制し、心のうちが平安となれ。無常なる外に寂静を求め人間的思考の運動(安心⇔不安)によって依存してはならない。内的に平安となった人には両極端を求めて得ようとするものはないので、取り上げられるものも存在しない。何も存在しないものにどうして捨てられるものがあろうか。

スッタニパータ 迅速918の解説

918 これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。

 

 

 

人間的思考の運動(優⇔劣)による慢心によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。その想いが目の前に現れ運動をする。その運動により時間が生まれ、時間により無常の世が形成されるのである。

スッタニパータ 迅速917の解説

917 内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

 

 

 

自らが法をあらわす。すなわち自らの内的である心の反応の仕方にも、外的な目の前に現れる対象にも、いかなることがらをもよく観察をし、知りぬけ。しかしそれを知る事によって慢心を起こしてはならない。慢心が安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

スッタニパータ 迅速916の解説

915 〔問うていわく、ー〕「太陽の裔(すえ)である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れること平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執することなく、安らいに入るのですか?」

 

 

916 師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて。有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。内に在するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「われは人間的思考の運動(ある⇔ない)によって考え、無常の世であるのに「有る」という迷わせる不当な思惟の根本による運動をすべて制止せよ。内に在するいかなる妄執をもよく導くために、この無常を知り、執することなく常に心して学べ。

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇914の解説

914 見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して敵対することがない。かれは負担をはなれて解放されている。かれははからいをなすことなく、快楽に耽(ふけ)ることなく、求めることもない。ー師はこのように言われた。

 

 

 

見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して人間的思考の運動(優⇔劣)を制して、敵対することがない。かれは煩悩を捨て去り負担をはなれて解放されている。かれは何かを得ようとはからいをなすことなく、快楽に耽(ふけ)ることなく、求めることもない。ー師はこのように言われた。

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇913の解説

913 過去の汚れを捨てて、新しい汚れをつくることなく、欲におもむかず、執着して論ずることもない。賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく、自分を責めることもない。

 

 

 

過去の記憶による想いすなわち汚れを捨てて、新しい想い(汚れ)をつくることなく、欲におもむかず、両極端に分け執着して論ずることもない。賢者は諸々の両極端による偏見を離脱して、世の中に汚されることなく、自分を責めることもない。かれは中道を歩み、心は寂静にして光り輝いている。

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇912の解説

912 聖者はこの世で諸々の束縛(そくばく)を捨て去って、論争が起ったときにも、党派にくみすることがない。かれは不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、執することがない。ー他の人々はそれに執着しているのだが。-

 

 

聖者はこの世で諸々の分別による束縛(そくばく)を捨て去って、論争が起ったときにも、分別を制して党派にくみすることがない。かれは両極端の運動によって不安な人々のうちにあっても両極端を制して安らけく、中道を保って泰然として、執することがない。ー他の人々は両極端の運動によって、それに執着しているのだが。-

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇911の解説

911 バラモンは正しく知って、妄想分別(もうそうふんべつ)におもむかない。見解に流されず、知識にもなずまない。かれは凡俗の立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。ー他の人々はそれに執着しているのだが。-

 

 

バラモンは平等性智(分別せず性質を知る)により正しく知って、妄想分別(もうそうふんべつ)におもむかない。両極端の見解に流されず、知識にも流されない。かれは凡俗の立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。ー他の人々はそれに執着しているのだが、聖者は、自ら真理を視る覚りによってありのまま知るのである。