スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ サーリープッタ971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

 

適当な時に食物と衣服とを得て、ここで人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、少量に満足するために、衣食の量を知れ。かれは衣食に関しては快を求めることなく、恣(ほしい)ままならず、自らを制して、慎(つつ)しんで村を歩み、人間的思考の運動(快⇔不快)の運動を制し、罵(ののし)られても、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あらあらしいことばを発してははならない。人間的思考の運動から生じる貪りに伴った痴により人々をそしることを想ってはならぬ。このように貪瞋痴を制して世の中を遍歴せよ。

スッタニパータ サーリープッタ970の解説

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

 

すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら四つの憂いに導く思慮である人間的思考の運動(快⇔不快)による分別を抑制せよ。そうして、自らに起こることをあるがままに観るのである。

スッタニパータ サーリープッタ969の解説

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

 

観察するところから得るところの智慧をまず第一に重んじて、八正道を知り、善を喜び、それら人間的思考の運動による反応がもたらすの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。寂静にして現象を観察し次の四つの憂うべきことに堪えよ。

スッタニパータ サーリープッタ968の解説

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)が発生すると、その快が手に入らないと怒り、あるいは不快を感じても怒る。あるいは、快が手に入ると高慢になり、不快をうまく排除できても高慢になる。それら怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、自らの反応の仕方を制して、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

スッタニパータ サーリープッタ967の解説

967 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が立ち上がることにより、貪りが生じるとそこから貪りを得るために生じるところの痴によって、盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。それらの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して、平等性智の見地から、弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。思考の運動によって心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

スッタニパータ サーリープッタ966の解説

966 病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に努力をなすべきである。

 

 

自らの身体や環境が変化し、病にかかり、餓(う)えに襲われても、また時間とともに変化をする寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの家なき人は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に自らと現象の観察をする努力をなすべきである。

スッタニパータ サーリープッタ965の解説

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、道を踏み外すことなく歩めば、他の諸々の危難にうち勝てるのである。

スッタニパータ サーリープッタ964の解説

955 サーリープッタさんが言った、ー
「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。ーこのようにことば美(うる)わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来たりたもうたことを。

956 眼ある人(ブッダ)は、神々及び世人が見るように、一切の暗黒を除去して、独(ひと)りで(法)楽をうけられた。

957 こだわりなく、偽(いつわり)りなく、このように範たる人として来たりたもうた師・目ざめた人(ブッダ)であるあなたのもとに、これらの束縛ある多くの者どものために問おうとして、ここに参りました。

958 修行者は世を厭(いと)うて、人のいない座所や樹下や墓地を愛し、山間の洞窟の中におり、

959 または種々の座所のうちにいるのであるが、そこにはどんなに恐ろしいことがあるのだろう。ー修行者は音のしないところに座臥(ざが)していても、それらを恐れて震(ふる)えてはならないのだが。

960 未到(みとう)の地におもむく人にとっては、この世にどれだけの危難があることだろう。ー修行者は辺鄙(へんぴ)なところに座臥(ざが)していても、それらの危難にうち克(か)たなければならないのだが。

961 熱心につとめる修行者には、いかなることばを発するべきか?ここでかれのふるまう範囲はいかにあるべきか?かれのまもる戒律や誓いはどのようなものなのですか?

962 心を安定させ気を落ちつけてている賢者は、どのような学修を身に受けて、自分の汚れを吹き去るのですか?ー譬(たと)えば加治工(かじこう)が垢(あか)を吹き去るように。」

 

 

963 師(ブッダ)は答えた、「サーリープッタよ。世を厭(いと)い、人なきところに趺坐し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。

 

964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に触(ふ)れることである。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、自らの反応の仕方に、しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖の時においても反応を制して寂静に帰して現象と心を観察せよ。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に接した時もである。

スッタニパータ 武器を執ること954の解説

954 聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは安らいに帰し、慳(ものおし)みを離れ、取ることもなく、捨てることもない。ーと師は説かれた。

 

 

 

かれは両極端に分けて比較することがないので、自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは、寂静にして安らいに帰し、なにかを得たとしても慳(ものおし)みを離れ、何かを欲して取ることもなく、捨てることもない。ありのままに観るものであるーと師は説かれた。

スッタニパータ 武器を執ること953の解説

953 動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智(えいち)ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした営みから離れて、至るところに安穏を見る。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、動揺して煩悩に悩まされることなく、自ら真理を視て叡智(えいち)ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした両極端の営みから離れて、至るところに安穏を見る。