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正しい見解、正見
真理に対してありのままに見る。
人間的思考を止め、分けない心でありのままに見る。(好みにとらわれず全てを受け入れて見る鏡のような見方)それによって、苦の生起の元を知り、苦を滅する方法を知り、苦の滅尽に至る道を知る事を名づけて正見と言う。
正しい思惟、正思
煩悩を離れること、憤りの心をおこさないこと、傷つけないことなどを常に心がける。
人間的思考を止め、よく気をつけ、分けない心で正しく思惟する。(反対の意見も受け入れる心を持つ鏡のような心)
迷いの世間を離れ、悪意から離れ、他者を害したいと言う想いから離れる心を名づけて正思と言う。
正しい語、正語
うそいつわり、そしり、荒々しい言葉を止める。
人間的思考を止め、遠回しに策したことばを使わない。
偽りの言葉を離れ、中傷する言葉を離れ、麄悪な言葉を離れ、雑穢(けがれ)なる言葉を離れることを名づけて正語と言う。
正しい行い、正業
殺生、盗み、不倫、などよこしまなことをしない。
殺生を離れること、与えられざるを盗らざること、清浄ならぬ行為を離れことを名づけて正業と言う。
正しい生活、正命
衣食住について貪らず、適正な生活。
よこしまな生き方を断って、正しい出家の法を守って生きるこれを名づけて正命と言う。
正しい努力、正精進
善悪に対して正しい判断をして対処する努力
いまだ生ぜざる悪しきことは生ぜらしめんと志を起して、ただひたすらに、つとめ励み、心を振るい起こして努力をする。あるいはすでに生じた悪しきことを断とうとして志を起し、ただひたすらに、つとめ励み、心を振るい起こして努力する。あるいはいまだ生ぜざる善きことを生ぜしめんがために志を起し、ただひたすらに、つとめ励み、心を振るい起こして努力する。あるいはまた、すでに生じた善しきことを住せしめ、忘れず、ますます修習して、全きにいたらしめたいと志を立てて、ただひたすらに、つとめ励み、心を振るい起こして努力するこれを名づけて正精進と言う。
正しい念い、正念
一瞬一刻に常に注意を払い、油断せず心を保つ。
人間的思考が立ち上がらないように常に注意を払う(よく気をつける)
わが身において身というものをこまかく観察する。熱心によく気をつけ、心をこめて観察し、それによって世間の貪りと憂いとを調伏して住する。あるいはまた、この存在において存在というものをこまかく観察する。熱心によく気をつけ、心をこめて観察し、それによって世間の貪りと憂いとを調伏して住するこれを名づけて正念と言う。
正しい瞑想、正定
欲望を制御して、精神統一につとめる。
人間的思考を止め、六根から感じるすべての情報を仏様に集中する。
心が乱れそうになったら戻す、戻すとつねに心がけて集中する心を養う。
もろもろの欲望を離れ、もろもろの善からぬことを離れ、なお対象に心ひかれながらも、それより離れることに喜びと楽しみを感ずる境地にいたる。これを初禅を具足にして住するという。だがやがて彼は、その対象にひかれる心も静まり、内清らかにして心は一向きとなり、もはやなにものにも心ひかれることなく、ただ三昧よりより生じたる喜びと楽しみの境地にいたる。これを第二禅を具足して住するという。さらに彼はその喜びをもまた離れるがゆえに、いまや彼は、内心平等にして執着なく、ただ念があり、慧があり、楽しみがあるのみの境地にいたる。これをもろもろの聖者たちは、捨あり、念ありて、楽住するという。これを第三禅を具足して住するというのである。さらにまたかれは、楽をも苦をも断ずる。さきには、すでに喜びをも憂いをも滅したのであるから、いまや彼は、不苦・不楽にして、ただ捨あり、念ありて、清浄なる境地にいたる。これを第四禅を具足して住するというこれを名付けて正定と言う。
この八つの正しい道を日々実践しよく自分の心に気をつけて過ごすことによって理法にもとづいた道となります。お釈迦様はこの八正道を実践している人の集まり自体がニルヴァーナそのものであるとおっしゃっています。まさに、自分と周りも全てこの正しい道を実践している世界ならばそこはまさにニルヴァーナそのものと言えるでしょう。仏界の世界はまさにこの素晴らしいヴァイブレーションに包まれた世界なのです。皆さんもそれにふれあった時に実相を知ることができるのです。