スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2024年

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

人間的思考の運動(新⇔古)である古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。思考の運動がもたらす牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

スッタニパータ 武器を執ること943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)である両極端を掴もうと欲する虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また自らの反応の仕方である慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、中道がもたらす安らぎを心がける人は、運動がもたらす眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。思考の運動を止める修行に怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。上手く修行ができても高慢な態度をとるな。

 

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に常に気をつけ、誠実=中道であれ。両極端に反応することなく、傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)=人間的思考の運動(損⇔得)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)め=自らの人間的思考の運動(快⇔不快)の反応の仕方を見極めつくして、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

この煩悩の矢に貫かれた者=人間的思考の運動(快⇔不快)が止められない者は、あらゆる方角をかけめぐる。人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

生きとし生けるものは終極=死に直面した際においては違逆=逆さづりにあうほどの苦しみに会うのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき煩悩の矢=人間的思考の運動(生⇔死)が潜(ひそ)んでいるのを見た。

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)=中道ではない。どの方角でもすべて動揺=人間的思考の運動をしている。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに人間的思考の運動によって死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

水の少ないところにいる魚のように、人々が「打たれる」恐怖に慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)を立ち上げては抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。この運動を止めない限り、この恐怖から逃れる事はできないのである。

 

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)を立ち上げ、武器を執(と)って打とうとしたことから打たれると言う恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。人間的思考の運動は運動であるから打つが生じると打たれると言う運動へと変化する。故にその運動を止めて運動から出る事が必要なのである。