866 「さて世の中で欲望は何にもとづて起るのですか?また(形而上学的(けいじじょうがくてき)な)断定は何から起るのですか?怒りと虚言と疑惑と及び(道の人)(沙門(しゃもん))の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」
「世の中で人間的思考の運動(快⇔不快)である〈快〉〈不快〉と称するものに依って、両極端を掴もうとする欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、世の中の人は外的な事物(目の前に現れたものを掴みたいと言う欲望)にとらわれた断定を下す。
人間というものは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げるが故に両極端を掴みたいという欲望が立ち上がる。人が何故断定するような意見を言うのかと言うと「ある」「ない」と言う2つの事柄しか見ていないからである。故に「快」を掴めないならば怒り「不快」を掴んだならば怒る。そして「快」を掴むために虚言を言う。また、自らの考え=人間的思考の運動(正⇔誤)が立ち上がると自らが掴んだ正と違う意見には疑惑が生じるのである。そして先人の修行者は自らが正しいと思い込んだ道を説いてゆくのである。