ご法話 スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ814のご法話 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。淫欲の交わりに耽る者は人間的思考の運動(快⇔不快)を制すると言う教えを失い、両極端を求めて、邪(よこしま)な行いをする。これはかれのうちにある卑(いや)しい=「運動に引き込む」ことがらである。中道を目指... ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い813のご法話 自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端による邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執着して考えることがない。かれは中道以外の他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは両極端に対して貪らず、また嫌うこ... ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い812のご法話 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を保つことによって両極端に汚されることがない。蓮華の上すなわちど... ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い811のご法話 聖者はなにものにもとどこおることなく、人間的思考の運動(愛⇔憎)を制し、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬(たと)えば(蓮(はす)の)葉の上の水が汚されないようなものである。そのように運動に... ご法話
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い810のご法話 世間の営みから遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。「無常である何かを追い求めると言う」迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。世の人々は常に何かを追い求め忙しい。無... スッタニパータ解説