948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、世間における諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)による欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい両極端を得ようとする執着を超えた人は、運動に流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。このようにあるがままに世の中を観るものである。
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948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、世間における諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)による欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい両極端を得ようとする執着を超えた人は、運動に流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。このようにあるがままに世の中を観るものである。
947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。
中道を究め、真理を究め尽くしたかれは智者であり、修行の達人である。かれは理法を知りおわって、人間的思考の運動(快⇔不快)に依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。
946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
修行者である聖者は、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を歩み真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切の人間的思考の運動(快⇔不快)を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。
わたくしは、両極端の思考へ牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、それらを得るためのはからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。修行者はそれらを回避し、中道を歩む者である。
944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。
人間的思考の運動(新しい⇔古い)である古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。中道を究め無常を感じる事に努め、滅びゆくものを悲しんではならない。両極端へ牽引(けんいん)する〔妄執)にとらわれてはならない。
943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。
思考の運動である快を得るために虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。思考の運動である美しいすがたに愛着を起こすな。また何かを得たとしても慢心を知りつくしてなくすようにせよ。不快に耐え粗暴になることなく、ふるまえ。このように修行者は中道を心がけるものである。
942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。
安らぎを心がける人は、常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)のよる反応の仕方によく気をつけ、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。反応を見る事に怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。それができたとしても高慢な態度をとるな。
941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
聖者は常に中道であれ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)による束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望=思考の運動による癖を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
この人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩の矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。