スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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03月

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1100の解説

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

 

 

修行者よ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれはそれらを追い求めることなく、手放し、死に支配されるおそれがない。」

 

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1099の解説

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 

過去に人間的思考の運動(快⇔不快)を立上げて分別したもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にもそなたは人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、何ものもないようにせよ。現在においても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1098の解説

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り超(こ)えた人(ブッダ)に〈欲のないこと〉をおたずねしようとして、ここに来ました。安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼(まなこ)のある方(かた)よ。先生!それを、あるがままに、わたくしに説いてください。

 

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克(か)つようなものです。智慧ゆたかな方(かた)よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。思考の運動からの出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

スッタニパータ 学生カッパの質問1095の解説

1095 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、両極端を離れる事をよく知って、自らの思考の運動によく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、両極端がもたらす悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」

スッタニパータ 学生カッパの質問1094の解説

1092 カッパさんがたずねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(す)(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起らないような洲(避難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」

 

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

1094 いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、両極端に対して、いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。両極端を掴もうと繰り返される輪廻を離れる事。それは老衰と死との消滅である。

 

スッタニパータ 学生トーデイヤの質問1090の解説

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?かれは智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方(かた)よ。」

 

1091 〔師いわく〕、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 

 

〔師いわく〕、「かれは人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を求めるような願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは中道による観察によって智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

スッタニパータ 学生トーデイヤの質問1089の解説

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑(ぎわく)を超えた人、ーかれはどのような解脱(げだつ)をもとめたらよろしいのですか?」

 

1089 師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。」

 

師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、観察によって真理を見、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。あるがままの姿で解脱しているからである」

スッタニパータ 学生ヘーマカの質問1087の解説

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、運動を止める事をよく知って、運動によく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。運動がもたらす世間の執著を乗り超えているのである」と。

スッタニパータ 学生ヘーマカの質問1086の解説

1084 ヘーマカさんがたずねた、「かつてゴーダマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来にはこうなるであろう』といってわたくしに説き明かしたことは、すべて伝え聞くにすぎません。それはすべて思索の紛糾(ふんきゅう)を増すのみ。わたくしはかれらの説を喜びませんでした。

 

1085 聖者さま。あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」

 

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

 

(ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、欲望や貪(むさぼ)りを除き去り中道を守ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

 

スッタニパータ 学生ナンダの質問1082の解説

1081 ナンダさんがいった、「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。聖者さま。もしもあなたが『かれらは未(いま)だ煩悩の激流を乗り超えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか?親愛なる先生!あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

 

1082 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

 

1083 「偉大な仙人のことばを聞いて、わたくしは歓喜します。ゴーダマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、また種々のしかたをすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々、ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。」

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、中道による観察によって妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのなく真理を見る人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』