スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2022年

スッタニパータ パスーラ827の解説

827 諸々の審判者がかれの緒論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北した者は嘆き悲しみ、「かれはわたしを打ち負かした」といって悲泣(ひきゅう)する。

 

 

両極端の思考を立ち上げた諸々の審判者がかれの緒論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北した者は嘆き悲しみ、「かれはわたしを打ち負かした」といって悲泣(ひきゅう)する。このように称賛を求めると同時に非難もついてまわることを知って、そのような運動を回避すべきである。

 

スッタニパータ パスーラ826の解説

826 集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、(論敵の)あらさがしをしているのに、(他人から)論難されると、怒る。

 

 

集会の中で論争に参加した者は、自らの人間的思考の運動(称賛⇔非難)を立ち上げては称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から論難されると、怒る。このような人間的思考の運動(称賛⇔非難)に陥って中道を踏み外しているのである。

スッタニパータ パスーラ825の解説

825 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を〈愚者である〉と烙印(らくいん)し、他人(師など)をかさに着て、論争を交(かわ)す。ーみずから真理に達した者であると称しながら、自分が称賛されるようにと望んで。

 

 

かれらは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を愚者であると烙印(らくいん)し、他人(師など)をかさに着て、論争を交(かわ)す。ーみずから真理に達した者であると称しながら、思考の運動を立ち上げては、自分が称賛されるようにと望んで。

スッタニパータ パスーラ824の解説

824 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執(こしゅう)している。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することができない修行者は「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に思考の運動を立ち上げては固執(こしゅう)している。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ823の解説

823 聖者は諸々の欲望を顧(かえり)みることなく、それを離れて修行し、激流を渡りおわっているので、諸々の欲望に束縛(そくばく)されている人々はかれを羨(うらや)むのである。」ー

 

 

聖者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、諸々の欲望を顧(かえり)みることなく、それ等の運動を離れて修行し、両極端がもたらす激流を渡りおわっているので、諸々の欲望に束縛(そくばく)されている人々はかれを羨(うらや)むのである。」ー故に聖者は動揺することはない。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ822の解説

822 (俗事から)離れて独り居ることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。ーかれは安らぎに近づいているのだが。

 

 

俗事=人間的思考の運動(快⇔不快)を求める行為から離れて独り居ることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。しかしこれだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。ーかれは安らぎに近づいているのだが。まずは、ここから始めるのである。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ821の解説

821 聖者はこの世で前後にこの災いのあることを知り、独りでいる修行を堅(かた)くまもれ。淫欲の交わりに耽ってはならない。

 

 

聖者はこの世で前後にこの「災い=運動の連鎖」のあることを知り、「独りでいる修行=中道」を堅(かた)くまもれ。両極端による淫欲の交わりに耽ってはならない。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ820の解説

820 独りでいる修行をまもっていたときには一般に賢者と認められていた人でも、もしも淫欲の交わりに耽ったならば、愚者のように悩む。

 

独りでいる修行をまもっていたときには一般に賢者と認められていた人でも、もしも「淫欲の交わりに耽った=中道を踏み外した」ならば、両極端による誘惑に陥り愚者のように悩む。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ819の解説

819 そうして他人に詰(なじ)られた時には虚言に陥(おちい)る。すなわち、[自らを傷つける]刃(悪行)をつくるのである。これがかれの大きな難所である。

 

そうして他人に詰(なじ)られた時には別の人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がり虚言に陥(おちい)る。すなわち、「自らを傷つける刃(悪行)=運動の連鎖」をつくるのである。これがかれの大きな難所である。

 

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ818の解説

818 かれは諸々の(欲の)想いに囚(とら)われて、困窮者のように考えこむ。このような人は、他人からのとどろく非難の声を聞いて恥じいってしまう。

 

かれは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)が止められず、諸々の(欲の)想いに囚(とら)われて、困窮者のように考えこむ。このような人は、中道を守れてないと他人からのとどろく非難の声を聞いて恥じいってしまう。