スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

02月

スッタニパータ 欲望768の解説

768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着をのり超える。

 

修行者は、藪の中を歩くときに毒蛇に気をつける事と同様に自らの欲望に気をつけねばなりません。その欲望には苦しみがついてまわるのですから、欲望を回避することは、苦しみを回避するということなのです。それは、一見、毒のないような蛇に見えたとしても、必ず毒のような苦しみがついてまわることを知って、修行者は、この世に存在するいかなるものに執着しても、苦しみが現れることを知って、この世で執着を乗り越えるのです。執着を捨て去ることで、苦しみをも捨て去ることができるのです。

スッタニパータ 欲望767の解説

767 欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

 

 

人間は、目の前に現れた現象、これは、人であったり、物であったり、思い描いた状態であったりします。もし、自分の思い描いた状況と違う形が目の前に現れれば、矢に射られたかのように苦しみます。例えば、大好きな異性が目の前に現れて、その人と付き合いたいという貪欲が生じたとしましょう。もし、その願いが叶わなかったら?どうでしょうか?その苦しみは、どうやったら回避できるでしょうか?それは、その想いを自分自身が掴んでいるからです。掴んでいるちうことは、その願いが叶わなかった時の苦しみも掴んでいるのです。ですから、お釈迦様は、その想いを手放しなさいとおっしゃっています。その想いを手放したとき、あなたは苦しみから解放され安穏を観ることができるでしょう。

スッタニパータ 欲望766の解説

766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

 

欲望とは、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって生じます。この時、自らの欲するもの、すなわち、好きなものを得られると、感情に作用し、喜びが立ち上がってしまいます。これを心の作用に照らし合わせると、分別→感受→感情、と言う流れとなるのです。人間は、一瞬のうちに目の前に現れた現象を分別し、それを受け取り、感情が動きます。この感情が動く事を、激流と呼ぶのです。喜怒の感情による運動が、自らの苦楽を作るのですから、まずは、分別しようとする人間的思考の運動を制して、喜びを受け取ることをやめて、それを捨て去って、感情が運動することなく保つのです。その状態を維持できれば、心は安穏に至るでしょう。何故、喜びを手放す必要があるのか?それは、人間的思考の運動による喜びは、運動をするのですから、必ず苦しみへと変化します。故に、喜びを手放すということは、同時に苦しみを手放す事と同等となるのです。仏道修行の基本は、常に苦集滅道ですね。

本日よりスッタニパータの解説をホームページで行います。

夏より開始しました、アメブロスッタニパータの解説が一巡し、今日からホームページのブログでの解説となります。

アメブロでは、今までの解説よりも、より掘り下げて、解説しましたので閲覧されている皆様もより多くの気づきがあったと思います。

このホームページで始める解説では、スッタニパータを仏道修行に直結した解説を心掛けたいと思いますので

これから仏道修行に打ち込もうという方にはぴったりかと思います。

なお、個人的に管理者のアドバイスを受けて修行したいと思われる方は、管理者までメールにてご連絡下さい。

既に、アドバイスを受けている方は、継続して、フォローいたします。

私は、長崎市在住ですので、こちらまで来られる場合は、直接、お話しさせていただきます。

国外に住んでおられる方もアドバイスを受けて取り組まれている方もおられます。

基本は、メールでのアドバイスとなります。

このホームページをご覧になられて修行されるだけでも、かなり実のある修行ができるとは思いますが

中には方向修正が必要な場合もありますので、その場合は、個人的な指摘が必要かと思います。

このホームページが一人でも多くの方々の苦を取り除きお役に立てることができれば、幸いです。

さあ、歩き始めましょう!