スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2019年

スッタニパータ 死ぬよりも前に861の解説

861 かれは世間において〈わがもの〉という所有がない。また無所有を嘆くこともない。かれは〔欲望に促(うなが)されて〕、諸々の事物に赴(おもむく)くこともない。かれは実に〈平安なる者〉と呼ばれる。」

 

 

 

かれは世間において人間的思考の運動(取⇔捨)を制し、わがものという所有がない。また人間的思考の運動(取⇔捨)を制し捨てることも無いので、無所有を嘆くこともない。かれは欲望に促(うなが)されて、人間的思考の運動(取⇔捨)により取るべく諸々の事物に赴(おもむく)くこともない。かれは実に様々な人間的思考の運動(取⇔捨)を制して遍歴し、平安なる者と呼ばれる。

スッタニパータ 死ぬよりも前に860の解説

860 聖者は貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものであるとも』とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。かれは分別(ふんべつ)を受けることのないものであって、妄想(もうそう)分別におもむかない。

 

 

 

聖者は貪りを離れ、掴んでも慳(ものおし)みすることなく、人間的思考の運動(優⇔劣)を制して『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものであるとも』とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。自らの運動を制するがゆえにかれは分別(ふんべつ)を受けることのないものであって、自らも妄想(もうそう)分別におもむかない。

スッタニパータ 死ぬよりも前に859の解説

859 世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して(貪りなどの過(とが))があるというであろうが、かれはその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。

 

 

 

世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して貪りなどの過(とが)があるというであろうが、かれはその人間的思考の運動(称賛⇔非難)による非難を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を制して動揺することがない。

 

スッタニパータ 死ぬよりも前に858の解説

858 かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

 

 

 

両極端の思考を制した分けてわがものという思考を離れ、かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。すべてはありのままにかれのもとを通り過ぎるのみである。このように結ぶ絆を捨て去ったかれには、もはや苦は生じないのである。

スッタニパータ 死ぬよりも前に857の解説

857 諸々の欲望を顧慮(こりょ)することのない人、ーかれこそ〈平安なる者〉である、とわたくしは説く。かれには縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに執着を渡り了(お)えた。

 

 

 

 

諸々の欲望を人間的思考の運動(正⇔誤)の反応の仕方により顧慮(こりょ)することのない人、ーかれこそ平安なる者である、とわたくしは説く。かれには人間的思考の運動(正⇔誤)による縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに執着を渡り了(お)えた。

 

 

 

 

 

スッタニパータ 死ぬよりも前に856の解説

856 依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。

 

 

依りかかることすなわち依存することのない人は、人間的思考の運動(正⇔誤)による依存であると理法を知って正⇔誤にこだわることがないのである。かれには、人間的思考の運動(生⇔滅)である「生存のための妄執も」、「生存の断滅のための妄執」=「精神的な貪り」も存在しない。

スッタニパータ 死ぬよりも前に855の解説

855 平静であって、常によく気をつけていて、世間において(他人と自分と)等しいとは思わない。また自分が勝(すぐ)れているとも思わないし、また劣(おと)っているとも思わない。かれには煩悩(ぼんのう)の燃え盛(さか)ることがない。

 

 

 

人間的思考の運動を制して平静であって、自らの反応の仕方に常によく気をつけていて、世間において分別比較対象することなく他人と自分と等しいとは思わない。また自分が勝(すぐ)れているとも思わないし、また劣(おと)っているとも思わない。かれは人間的思考の運動を制して煩悩(ぼんのう)の燃え盛(さか)ることがない。

スッタニパータ 死ぬよりも前に854の解説

854 利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆(さから)うことがなく、美味に耽溺(たんでき)することもない。

 

 

 

人間的思考の運動(得⇔損)による利益を欲して学ぶのではない。利益(得)が得られなかったとしても、怒ることがない。何かを得る妄執のために他人に逆(さから)うことがなく、人間的思考の運動(美味⇔不味)を制して美味に耽溺(たんでき)することもない。このようにありとあらゆる自らの反応の仕方に注意し遍歴せよ。

スッタニパータ 死ぬよりも前に853の解説

853 快(こころよ)いものに耽溺(たんでき)せず、また高慢にならず、柔和(にゅうわ)で、弁舌さわやかに、信ずることなく、なにかを嫌うこともない。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)による快(こころよ)いものに耽溺(たんでき)せず、またそれを得ても高慢にならず、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し中道を保って柔和(にゅうわ)で、平等性智の元、弁舌さわやかに、両極端の思考により信ずることなく、なにかを嫌うこともない。

スッタニパータ 死ぬよりも前に852の解説

852 (遁欲(とんよく)などから)遠ざかり、偽(いつわ)ることなく、貪(むさぼ)り求めることなく、慳(ものおし)みせず、傲慢(ごうまん)にならず、嫌(きら)われず、両舌(かげぐち)を事としない。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による遁欲(とんよく)などから遠ざかり、何かを欲して偽(いつわ)ることなく、貪(むさぼ)り求めることなく、何かを手にしても慳(ものおし)みせず、傲慢(ごうまん)にならず、平等なる見地にて嫌(きら)われず、手に入らずとも、両舌(かげぐち)を事としない。このように分けることなくありのまま受け入れ平等なる見地でとらえる聖者とはこのような思考だと知れ。