スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2017年

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1051の解説

1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることであり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」

 

 

その人間的思考の運動を知ることなくして執着をつくる人は、愚かであり、繰り返し苦しみに近づく。だからこの人間的思考の運動を知ることであり、この世は無常であると知ることなのである。執着が苦しみの生起の元だと感じた人は、執着によってこの苦しみの世界。すなわち無常の世界、失われる世界へ生まれてくるのであるから、再生の素因=執着を作ってはならない。若い頃の自分に戻りたいと思わないことだ。また、人生をやり直したいとも思わないことである。何度繰り返しても、それは失われていくのだと知って、この苦しみの世界へ生まれてきてはならない。

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1050の解説

1049 メッタグーさんがたずねた、「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

 

 

 

1050 師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。

 

 

 

世の中にある種々様々な苦しみは、執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。人は、人間的思考の運動により、目の前に現れた現象に対して、快⇔不快にすぐに分け、その両極端の想いに執着をする。すなわち、快を貪り求め、不快を排除しようとする想いにである。しかしながら、この2つ(快、不快)は運動をするので、快を得られたとしても必ず逆の不快が目の前に現れる。それによって苦しみが、かれにつきまとうのである。

 

スッタニパータ 学生プンナカの質問1048の解説

1047 プンナカさんがいった、「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り超えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り超えた人は誰なのですか?先生!あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

 

1048 師が答えた、「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」

 

 

 

世の中で自らの反応の仕方を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも両極端に動揺することなく、中道を守り安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。この無常の世界に生まれてくるものは、目の前の出来事に対して両極端の反応をし、その状態にこだわって、その想いによって生まれてくるのであるから、自らの人間的思考の運動による反応の仕方を知りつくして、遂にはその運動を制して修行者よ、彼の岸へ到達せよ。

 

 

スッタニパータ 学生プンナカの質問1046の解説

1045 プンナカさんがいった、「先生!およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀(さいし)の途において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか?わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1046 師は答えた、「プンナカよ。かれらは希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

 

 

かれらはこの変化ある世界を希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の変化ある生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは、その想いによってこの変化ある世界にまた生まれてくるので生や老衰をのり超えていない。かれらは、人間的思考の運動(快⇔不快)の運動を制しようとはせず、逆に両極端を追い求めているのであるから、どうして生と死を乗り越える事ができようか? とわたしは説く。」

 

スッタニパータ 学生プンナカの質問1044の解説

1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

 

 

プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、現在の状態すなわち「うつりゆく変化の世界」において、常住を切望し、現在の状態にこだわり、神々の力に頼ろうとして犠牲を捧げたのである。この世の中は変化の世界であり、何人たりとも常住を欲するは、苦である。かれらは両極端である快の状態を保とうと様々な事を行うが、それは運動をするので必ず反対のものが現れる。若い者は老いる。すなわち若さにこだわることは苦である。無明に覆われた人々は、理を知らずして盛んに犠牲を捧げるのである。

 

スッタニパータ 学生ティッサ・メッテイヤの質問1042の解説

1042 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」

 

 

 

かれは、人間的思考の運動すなわち両極端の運動である自らの快、不快の反応の仕方を知りつくして、どのような時に、自らがどのような反応をするのかを知る。かれは、快でも、不快でも、また快でも不快とも感じないものに対しても執着をしないので、汚されない。かれは、この世に存在する様々な執着の対象を見極めて、知りつくし、もはやこだわることはなく、遂には彼の岸へ到達したのである。

スッタニパータ 学生ティッサ・メッテイヤの質問1041の解説

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」

 

 

 

1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。

 

 

 

諸々の欲望に関しては清らかな行い。すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)を制することをまもり、両極端の運動を制することによって妄執を離れて、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)の反応の仕方に気をつけ、自らの反応の仕方を究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには欲するものが手に入らない、または、失うような動揺が存在しない。このような修行者は、もはや苦を乗り越えていると知れ。

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1039の解説

1038 「この世には真理を究(きわ)め明(あき)らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫(ぼんぷ)もおります。おたずねしますが、賢者は、どうかかれらのふるまいを語ってください。わが友よ。」

 

 

1039 「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

 

 

 

修行者は、諸々の人間的思考の運動にもとづい欲望に耽ってはならない。人間的思考の運動によって迷ってはならない。人間的思考の運動を制して一切の事物の真相に熟達し、よく自らの反応の仕方に気をつけて遍歴せよ。

 

 

 

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

 

 

 

識別作用すなわち感受したものを快、不快に分ける事を止めて滅する事によって、名称と形態すなわちこの無常の世を形成する変化するものが滅び、もはやこの苦の世界に生まれてくることは無くなるのである。

スッタニパータ 学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

 

世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけることである。人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは、人間的思考の運動(快⇔不快)を制することによってつながる智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。