スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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12月

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句773の解説

773 欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮(こりょ)しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。

 

 

 

人間的思考の運動を止めようとせず、この快⇔不快の二元の運動にもとづいて生存の快楽に熱中している人々は解脱しがたい。他人が人間的思考の運動に気をつけてくれるわけではないからである。かれらは、人間的思考の運動にもとづいて未来はこうありたいと思慮し、過去にすでに起ったことに対してもあれこれ分別することをやめない。すなわちああすれば良かった、こうすれば良かったと、くよくよ考えるのである。そして現在も、その分別にあくせくと忙しいのである。この人間的思考の運動を止めない人々には激流が渦巻き、かれらを飲み込む。そして、溺れては浮かび、また溺れる。賢明な修行者は、そのありさまを観て、現在においても、過去についても、未来についても、この運動によく気をつけて静止せよ。そこから安らぎが得られるのである。

 

 

 

新しく始まったスッタニパータ解説について

今回のスッタニパータの解説は、全て、新しい視点のものですので、日々新鮮な気持ちでお読みいただけます。

また、今回のブログでは、過去の記事から連続して読むことができるようになっています。

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スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句772の解説

772 窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、執着し。多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

 

 

 

 

人は、物質的な欲望すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)にもとづいた欲望によって人間と言う動物の中にとどまり、多くの人間的思考の運動による欲求すなわち煩悩に覆われ、欲求が満たされたと想えば満たされず、迷いながら地の底に沈んでいる。この人間的思考の運動にもとづいた人々は実に、この物質的世界から遠ざかることからほど遠い場所に位置している。この物質世界に生まれて欲望を捨て去ることは容易ではないからである。人間的思考の欲求は、なぜ満たされないのか?運動するからである。この無常の世界での状態は、同じ状態が永遠に続くわけではない。必ず運動するので、一時的に満たされたとしても、それは永遠には続かないのである。それを知って修行者は、この物質的欲望から遠ざかることを学び、自らの人間的思考の運動に常に気をつけて、安らぎに至るのである。

スッタニパータ 679、770、771の解説

769 ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

 

 

770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。

 

 

771 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

 

 

 

人間が人間的思考の運動を静止する事を怠り二元の運動にもとづいて行動したならば、かれは欲望の欲するまま行動するであろう。しかし、この二元の運動(快⇔不快の運動)をしているので、一時的に欲するものが得られたとしても逆の現象も彼の前に現われる。また、得られたものも必ずかれの手を離れるときがくる。この二元の運動をしている限り、人はこの運動の激流から逃れることはできない。快は不快に変化する。そして、快を求めては、不快にも見舞われ、激流へと飲み込まれていくのだ。この運動に気をつけないものは、少しの気の緩みが破れた船に水か進入するかの如くかれに襲いかかる。故に、人は自らの運動によく気をつけ、諸々の欲望を回避せよ。そして、過去に作った欲望の癖をも船の溜り水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、遂には彼の岸に到達するのである。

 

 

 

スッタニパータ 欲望766、767、768の解説

766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

 

 

 
767 欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

 

 

768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着をのり超える。

 

 

 

人間は、常に物事を快、不快に分ける運動をしている。そして快を貪り求め不快を排除しようとする。この快⇔不快の二元の運動をくり返しているのである。そして、快を得られたときにかれは実に人間的思考の欲するものを得て喜ぶ。これが人間的思考の喜びである。逆にそれを得ることができないならば、矢にいられたかのように苦しむのである。人間が求めている喜び、すなわち人間的思考の運動から来るところの喜び幸せは、本当の喜び幸せではない。この喜びには苦しみが付着していることを知って、賢明な修行者は、足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく人間的思考の運動に気をつけ諸々の人間的思考の喜びを捨て(喜捨)この世の執着、煩悩の荒波をのり超えるのである。

スッタニパータ管理人の霊験

仏教を修業されている方は様々な霊験をされる方も多いと思いますが、

私の霊験を今日はお話ししたいと思います。

それは、高校の修学旅行の時でした、

京都が修学旅行のコースに組み込まれており見学していたときのことです。

私は数多くのお寺を写真に撮り自宅に帰ってから見ていました。

その中に、東寺の講堂の壁を横から撮った写真に横向きに合掌した黄金の仏様が写っていたのです。

どう写真を見ても仏様にしか見えないお姿でしたが、ネガを確認すると

ネガの外から衣が映し出されていましたので、ネガに直接投影されたものだと思います。

その後、私自身が5つ前の前世で東寺の建立に関わっていて東寺にいたと言う事がわかりました。

私の曾祖父が、真言宗の住職でもありますが、何かと縁があるようです。

そして2年前の事。

当時関西に在住していましたので、

長崎へ帰宅する前に伊勢神宮へご挨拶のために参拝させていただきました。

辰、巳にかけて関西へ動く事になったわけですが、霊的には、神戸、大阪、和歌山

地方を守るため(ある出来事を身を以て阻止するため)でしたので、

2年間と言う区切りを迎えてて戻りますというご挨拶です。

最初に訪れましたのは、伊勢神宮の元宮(元々伊勢神宮があったところ)と呼ばれている

伊雑の宮です。

この伊雑の宮の正面には、伊勢の生き神様と呼ばれていた故小泉太志命と言う方の道場があります。

当日は、あいにくの雨でしたが、参拝が終わった直後に雨が光っています。

それは雨が白っぽく何かに照らされて・・・

と次の瞬間、お社の上の方が晴れてきました。

いや、雨は降っているのですが、お社の上だけ晴れている。

そこから、約10メートルほどでしょうか?

白髪の白髭の神様が降臨されました。

着ている服は、白で、縁に金がかたちどった服。日本神話というよりは

むしろ、キリスト?

しかし、そのお姿はまさに神様としか呼びようがありません。

なるほど、小泉大志命が刻んだダビデの紋章の意味はこの方だったのか・・・

そして、天照大御神の名前の由来は

この雨を照らして現われた大きな神様

雨照 大神 文字を合わせて 天照大御神ではないのか?

その後、伊雑の宮の宮司様とお話をし、本宮、別宮を参拝して帰路につきました。

 

そして、ある日、仏様に一度仏界とはどのようなところかお見せいただけますでしょうか?

と祈願をし、真言を唱えること複数回

いきなり目の前に空間が開き、仏界と思われる場所が広がりました。

姿、形はなく、しかし、何かが存在している

もの凄い波動です。

もの凄い波動同士が上昇していっている。

言うならば、お互いに高めあって上昇しているのですが、

如来と如来が高め合うのですから驚くべき世界です。

絶妙なタイミングで連鎖し高め合う

なんと言う存在でしょうか???

それが普通の世界

 

我々修行者は、霊験を聞く機会もあると思いますが、

気をつけないといけないのが、人間的思考が立ち上がり、そ

こに行きたいとか、そう言う力が欲しいと想うこと。

そう言う話がもっと聞きたいと想うこと。

それは、人間的思考(欲しい欲しい)です。

そう想うことで修行の妨げになるので、霊験は自然に体験できるもの

と考えた方が良いでしょう。

 

まずは、その人間的思考の運動を止めて、そこからがスタートとなるのです。

そこから仏のエネルギーを感じ取り

そして最後は、高め合える自分になる。

 

昇龍の如く開眼 皆さんが、仏性に目覚める事を祈念して、いよいよスタートです。

 

 

 

お知らせ 

スッタニパータブログの解説を徐々にこちらでまとめて行きます。

今回は、四神足の修練、霊験についての解説も追加します。

初回は、ブログ管理者の実体験にもとづいた霊験などをお話する予定です。

なお、ご連絡、ご質問は、info@suttanipata.com まで、メールにてお願いします。

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