スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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02月

スッタニパータ 争闘863の解説

862 「争闘と論争と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢(ごうまん)と悪口とは、どこから現われ出てきたのですか?これらはどこから起ったのですか?どうか、それを教えてください。」

 

863 「争闘と論争と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢(ごうまん)と悪口とは愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは慳(ものおし)みに伴(ともな)い、争論が生じたときに、悪口が起る。」

 

 

「争闘と論争と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢(ごうまん)と悪口とは人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは掴んだものを離さない慳(ものおし)みに伴(ともな)い、争論が生じたときに、悪口が起る。」

スッタニパータ 死ぬよりも前に861の解説

861 かれは世間において〈わがもの〉という所有がない。また無所有を嘆くこともない。かれは〔欲望に促(うなが)されて〕、諸々の事物に赴(おもむく)くこともない。かれは実に〈平安なる者〉と呼ばれる。」

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制して両極端を手放したかれは世間において〈わがもの〉という所有がない。また無所有を嘆くこともない。かれは〔欲望に促(うなが)されて〕、諸々の事物に赴(おもむく)くこともない。かれは実に中道を歩む平安なる者と呼ばれる。」

スッタニパータ 死ぬよりも前に860の解説

860 聖者は貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものであるとも』とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。かれは分別(ふんべつ)を受けることのないものであって、妄想(もうそう)分別におもむかない。

 

 

聖者は人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす貪りを離れ、両極案に対して慳(ものおし)みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものであるとも』とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。人間的思考の運動(快⇔不快)を制したかれは分別(ふんべつ)を受けることのないものであって、妄想(もうそう)分別におもむかない。

 

スッタニパータ 死ぬよりも前に859の解説

859 世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して(貪りなどの過(とが))があるというであろうが、かれはその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。

 

 

世俗の人々、または道の人・修行者どもがかれを非難して貪りなどの過(とが)があるというであろうが、かれは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、自らの修行状況がわかるが故にその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。

スッタニパータ 死ぬよりも前に858の解説

858 かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

 

かれには、人間的思考の運動(快⇔不快)が生み出す執着の対象である子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。人間的思考の運動(快⇔不快)を制したかれにはすでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

 

スッタニパータ 死ぬよりも前に857の解説

857 諸々の欲望を顧慮(こりょ)することのない人、ーかれこそ〈平安なる者〉である、とわたくしは説く。かれには縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに執着を渡り了(お)えた。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす諸々の欲望を顧慮(こりょ)することのない人=中道を保つ人、ーかれこそ〈平安なる者〉である、とわたくしは説く。かれには縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、執着を渡り了(お)えた。

スッタニパータ 死ぬよりも前に856の解説

856 依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。

 

 

両極端に対して依りかかることのない人は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道による観察によって理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。修行者はこのような状態を目指すのである。

スッタニパータ 死ぬよりも前に855の解説

855 平静であって、常によく気をつけていて、世間において(他人と自分と)等しいとは思わない。また自分が勝(すぐ)れているとも思わないし、また劣(おと)っているとも思わない。かれには煩悩(ぼんのう)の燃え盛(さか)ることがない。

 

 

 

平静であって、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に常によく気をつけていて、世間において他人と自分と等しいとは思わない。また自分が勝(すぐ)れているとも思わないし、また劣(おと)っているとも思わない。かれには煩悩(ぼんのう)の燃え盛(さか)ることがない。修行者はこのような状態を常に保つべきである。

スッタニパータ 死ぬよりも前に854の解説

854 利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆(さから)うことがなく、美味に耽溺(たんでき)することもない。

 

 

修行者は、利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、妄執のために他人に逆(さから)うことがなく、美味に耽溺(たんでき)することもない。このように修行を進めていくべきである。