スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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11月

スッタニパータ 迅速930の解説

930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

 

また修行者は、どのような結果があろうとも、それらに対しての自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、高慢であってはならない。また両極端に分け、何かを掴もうと、自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。何かを得たからと言って、傲慢(ごうまん)であってはならない。常に自らの反応の仕方を制することに努め、不和をもたらす言辞を語ってはならない。

スッタニパータ 迅速929の解説

929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。

 

 

修行者は、思考の動揺を生むような売買に従事してはならない。心が混濁して決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また思考の運動によって村の人々と親しく交わってはならない。自らの人間的思考の運動(得⇔損)を制し、利益を求めて人々に話しかけてはならない。それらの心の動揺を制しない限り真理を見る事はできないからである。

スッタニパータ 迅速928の解説

928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

 

 

修行者は、非難されても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、くよくよしてはならない。称讃されても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、高ぶってはならない。何かを掴みたいと言うような、貪欲(とんよく)と掴んで離そうとしない慳(ものおし)みと掴めない怒りと悪口とを除き去れ。全ての思考の運動を制し、あるがままに真理を見るのである。

 

スッタニパータ 迅速927の解説

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。

 

 

わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。あれこれうろつく事を手放し、あるがままに観察を怠ることなく行い真理を見よ。

 

スッタニパータ 迅速926の解説

926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。

 

 

思考を制することを怠って多く眠ってはならぬ。熱心に思考の運動を制することに努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。求めさまよう事を捨て、中道を歩み彼の岸へと到達せよ。

 

スッタニパータ 迅速925の解説

925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を歩み、こころを安定させよ。両極端に、うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。思考を制することを怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)である中道に住まうべきである。

スッタニパータ 迅速924の解説

924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

 

 

食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。人間的思考の運動がもたらす「安心」⇔「不安」という思考の運動を制し、世の中を遍歴せよ。

スッタニパータ 迅速923の解説

923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

 

 

苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。快を求めては、生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、それらの動揺を制し、目の当りに見る現象をあるがままに観察し、真理を見るのである。