スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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06月

スッタニパータ 学生トーデイヤの質問1089の解説

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑(ぎわく)を超えた人、ーかれはどのような解脱(げだつ)をもとめたらよろしいのですか?」

 

 

1089 師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。この無常の世において諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、知見によって諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に求めるような解脱は存在しない。」

スッタニパータ 学生ヘーマカの質問1087の解説

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

 

 

このことをよく知って、よく自らの人間的思考の運動に気をつけ、現世において全く両極端の煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。両極端がもたらす世間の執著を乗り超えているのである」と。

スッタニパータ 学生ヘーマカの質問1086の解説

1084 ヘーマカさんがたずねた、「かつてゴーダマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来にはこうなるであろう』といってわたくしに説き明かしたことは、すべて伝え聞くにすぎません。それはすべて思索の紛糾(ふんきゅう)を増すのみ。わたくしはかれらの説を喜びませんでした。

 

1085 聖者さま。あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」

 

 

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

 

 

ブッダが答え、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり人間的思考の運動(快⇔不快)によって識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることすなわち自らの人間的思考の運動(快⇔不快)の反応の仕方に気をつけ制することが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

 

 

スッタニパータ 学生ナンダの質問1082の解説

1081 ナンダさんがいった、「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。聖者さま。もしもあなたが『かれらは未(いま)だ煩悩の激流を乗り超えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか?親愛なる先生!あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

 

1082 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

 

1083 「偉大な仙人のことばを聞いて、わたくしは歓喜します。ゴーダマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、また種々のしかたをすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々、ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いにおいてもそれらに対する人間的思考の運動(優⇔劣)をすっかり捨て、また種々の両極端の運動のしかたをもすっかり捨てて、自らのそれらに対する妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

 

スッタニパータ 学生ナンダの質問1080の解説

1079 ナンダさんがいった。「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。そのほか種々のしかたで清浄になれるとも言います。先生!かれらはそれらにもとづいてみずから制して修行しているのですが、はたして生と老衰とを乗り超(こ)えたのでしょうか?わが親愛なる先生!あなたにおたずね致します。それをわたくしに説いてください。」

 

 

1080 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・バラモンたちはすべて、〈哲学的〉見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・修行者たちはすべて、〈哲学的〉見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。そのほか種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらが分別したそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」かれらは、そのように思いたいのである。聖者は自らが見て知ったその知見によって気づくところの智慧により生と死とを乗り越えるものである。

スッタニパータ 学生ナンダの質問1078の解説

1077 ナンダさんがたずねた、「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか?あるいは〔簡素な〕生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

 

 

1078 (ブッダが答えた)、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

 

 

ブッダが答えた、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、哲学的見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、自らの煩悩の魔軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、その中道において自らの気づきから智慧を獲得した者ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1076の解説

1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか?或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

 

 

1076 師は答えた、「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。転生の素因が滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがら、すなわち転生の素因がすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1074の解説

1073 「あまねく見る方(かた)よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼(しょうりょう)となるのでしょうか?またそのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」

 

 

1074 師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」

 

 

師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって火としては数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、この無常の世で、転生し、存在する者としては数えられないのである。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1072の解説

1071 ウパシーヴァさんがいった、「あらゆる欲望に対する貪(むさぼり)りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するでありましょうか?」

 

 

1072 師は答えた、「ウパシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無常を観じ、無所有にもとづいて、その他の苦を伴っている執着したものを捨て、最上のこの無常の世に対する想いからの解脱において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1070の解説

1069 ウパシーヴァさんがたずねた。「シャカ族の方よ。わたくしは。独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の激流を渡ることはできません。わたくしがたよってこの激流をわたり得る〈よりどころ〉をお説きください。あまねく見る方よ。」

 

 

1070 師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

 

 

師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によく気をつけて、両極端を制し、無所有をめざしつつ、この無常の世を感じて状態は常に変化するすなわち『何も存在しない』と思うことによって、貪瞋痴が構成する煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の貪りを離れ、欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、痴を滅し、想い描いた結果が違っても、瞋を立ち上げることなく、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」