スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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03月

スッタニパータ  学生カッパの質問 1094の解説

1094 いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

 

 

人間的思考の運動を制止し、いかなる所有もなく、両極端に分けて執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それはこの無常の世から遠ざかりし老衰と死との消滅である。

スッタニパータ  学生カッパの質問 1093の解説

1092 カッパさんがたずねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(す)(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起らないような洲(避難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」

 

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。この無常の世には、極めて恐ろしい激流(変化)が渦巻いている。その激流(変化)が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、すなわちこの無常の世に生れ老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

スッタニパータ  学生トーデイヤの質問 1091の解説

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?かれは智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方(かた)よ。」

 

1091 〔師いわく〕、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 

師いわく〕、「かれは人間的思考の運動による両極端の願いがない人である。かれは両極端に偏った好きなものを欲したり、嫌いなものを排除しようなどをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし人間的思考の運動による欲望によって智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人間的思考の運動を制した人であると知れ。かれはいかなる人間的思考の運動による反応の仕方をも所有せず、この無常の世界がおりなす欲望の生存に執著していない。」

 

スッタニパータ  学生トーデイヤの質問 1089の解説

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑(ぎわく)を超えた人、ーかれはどのような解脱(げだつ)をもとめたらよろしいのですか?」

 

 

1089 師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。人間的思考の運動を制止し、諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、五智を獲得し、疑惑を超えた人、ーかれにはその他に解脱を求めるべき修行方法は存在しない。」自らを制し諸々の激流を渡り終わったかれは、すでに彼の岸へと到達し解脱したのである。

 

スッタニパータ  学生ヘーマカの質問1087の解説

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

 

 

この世において、目から入る情報、耳から入る情報、心で感じる情報を人間的思考の運動(好き⇔嫌い)で分けない。すなわち両極端にとらえることなく中道を守ること。このことをよく知って、自らの反応の仕方によく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いである人間的思考の運動を離れた人々は、常に安らぎである中道に帰(き)している。世間の執著のもとである反応の仕方を乗り超えているのである」と。

スッタニパータ  学生ヘーマカの質問1086の解説

1084 ヘーマカさんがたずねた、「かつてゴーダマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来にはこうなるであろう』といってわたくしに説き明かしたことは、すべて伝え聞くにすぎません。それはすべて思索の紛糾(ふんきゅう)を増すのみ。わたくしはかれらの説を喜びませんでした。

 

 

1085 聖者さま。あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」

 

 

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

 

 

ブッダが答えた、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する人間的思考の運動による反応の仕方を見極め、それを制し、欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。すなわち目で見るものへの反応の仕方、耳で聞こえるものへの反応の仕方、心で感じる事への反応の仕方を人間的思考の運動により両極端に識別していまい快美だと感じたものへ対しての欲望や貪りを除き去る事。それは、両極端の反応の仕方を制し中道を極めることが不滅のニルヴァーナへの道と言うことである。

 

スッタニパータ  学生ナンダの質問1082の解説

1081 ナンダさんがいった、「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。聖者さま。もしもあなたが『かれらは未(いま)だ煩悩の激流を乗り超えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか?親愛なる先生!あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

 

 

1082 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

 

 

 

1083 「偉大な仙人のことばを聞いて、わたくしは歓喜します。ゴーダマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、また種々のしかたをすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々、ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いによる人間的思考の運動に基づいた反応の仕方をすっかり捨て、また種々の反応のしかたをもすっかり捨てて、自らの反応の仕方をよく究(きわ)め明(あか)かして、人間的思考の運動を制し、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

スッタニパータ  学生ナンダの質問1080の解説

1079 ナンダさんがいった。「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。そのほか種々のしかたで清浄になれるとも言います。先生!かれらはそれらにもとづいてみずから制して修行しているのですが、はたして生と老衰とを乗り超(こ)えたのでしょうか?わが親愛なる先生!あなたにおたずね致します。それをわたくしに説いてください。」

 

1080 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・バラモンたちはすべて、〈哲学的〉見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・バラモンたちはすべて、哲学的見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。そのほか種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、哲学的見解によって人間的思考の運動(正しい⇔正しくない)が起こり、また伝承の学問によっても人間的思考の運動(理解している⇔理解していない)が起こる。戒律や誓いによっても人間的思考の運動(守る⇔守らない)が起こる。人間的思考の運動による範疇にある限り、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」

 

スッタニパータ  学生ナンダの質問1078の解説

1077 ナンダさんがたずねた、「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか?あるいは〔簡素な〕生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

 

 

1078 (ブッダが答えた)、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

 

 

 

ブッダが答えた、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、哲学的見解によって生じた人間的思考の運動によっても、伝承の学問によって生じた人間的思考の運動によっても、知識によって生じた人間的思考の運動によっても聖者だとは言わない。人間的思考の運動を制して煩悩の魔軍を撃破し、寂静にして、苦悩なく、望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

スッタニパータ  学生ウパシーヴァの質問1076の解説

1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか?或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

 

 

1076 師は答えた、「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

 

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。生れる素因が滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆる人間的思考の運動による両極端の反応がすっかり絶やされたとき、かれを生れさせる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」